ーーー料理人を志したきっかけは?
母の影響が大きいと思います。小学生の頃、友人が家に遊びに来ると、母が料理を作ってくれて、みんながとても喜んでいたんです。その様子を見て、人を喜ばせられるのは素敵なことだなと感じました。自然と、自分も料理を通して人を喜ばせられるようになりたいと思うようになりました。
日本料理に興味が向いたのは、自分が日本人であることも理由の一つですし、その精神性に強く惹かれたからです。迷うことなく、日本料理を学びたいと思いました。今思えば、フレンチなどを学んだ方がモテたのかなと思うことはありますけど(笑)。
ーーーそこから、どのようにして料理の道へ進まれたのでしょうか?
本格的に料理の道に進んだのは、20歳の頃です。専門学校を出たわけでもなく、修行先の当てもありませんでした。ただ、日本料理を学ぶなら京都だろうと漠然と思い、何も分からないまま鎌倉から単身で京都へ飛び込みました。
たまたま手に取った雑誌に日本料理店がたくさん掲載されていて、一軒ずつ「雇っていただけませんか」と連絡しました。ただ、その時期がちょうど4月で、どこも新人が入ったばかり。新しく人を雇える状況ではない、と取り合ってもらえませんでした。
それでも、とにかくお店には食べに行ってみようと思い、様々なお店を回りました。その中で訪れたのが【和久傳】さん。食事をしたとき、まだ料理について深く理解していない自分でも、すごく感銘を受けたんです。自分もこんな料理がしたいと思い、「雇ってください」と申し入れました。
ーーー修業時代のエピソードを教えてください。
【和久傳】では、16年間お世話になりました。修業に入って数年が経った頃、現在【木山】の店主である木山義朗さんが誘ってくださり、雨の中、バイクに2人乗りで大阪へ行ったんです。東洋陶磁美術館で、器を見ながら様々なことを教えていただきました。
その後も、京都の樂美術館や茶道美術館などを訪れ、器とはどういうものか、その面白さや奥深さを教えていただく中で、次第に器そのものに興味を持つようになりました。
当時はお茶の稽古もしていて、道具にも深く興味が湧いていました。休みの日にお道具屋さんへ行ってみると、いろいろと教えていただける機会もありました。まだ給料も少ない時期でしたが、気に入った高価な器があれば思い切って買ってみたりもしていました。家具屋さんでは、家具について教えていただくこともありました。
料理については、料理人修業を続けていれば徐々に身につくし、できるようになるものだと思います。でもそれ以上に、自分の休みの日や休憩時間を使って学んだ、器や設え、美意識のようなものが、自分の店を持った今、個性を出すうえで生きているように感じます。
ーーー開業時について伺ってもよろしいでしょうか。
京都で16年過ごし、ある程度の勝手もわかっていましたし、見知ったお客様もいる環境でした。このまま京都で開業する道も考えましたが、女将さんから「あなたは、お店をするなら鎌倉でしなさい」と助言をいただいたんです。それで鎌倉に戻ることを決めました。
ただ、鎌倉で独立・開業するにあたって、「鎌倉で食べられる京料理」になってしまっては意味がないと思いました。京都ではできない、鎌倉だからこそ生まれる形を追求したい。その想いから、お店づくりが始まりました。
【鎌倉 北じま】のある場所は元々古民家だったのですが、ここで料理をしてお客様が喜んでいる未来のイメージが自然と浮かび、直感的に「ここだ」と感じたんです。女将さんに相談すると、すぐに京都から来てくださって、「ここにしなさい」と背中を押してくれました。お店の配置などについてもアドバイスをいただき、信頼している女将さんの言葉に大きな安心感をもらいました。この場所を選んでよかったと、自信になりました。
ーーーお店が火災に見舞われたと伺いました。
はい。オープンして3年経った頃の2024年6月、火災に遭いました。営業中に火災が発生し、原因は漏電でした。幸い、お客様側のフロアとは繋がっていなかったので燃え移らず、本当に助かりました。もし誰もいない時間帯に発生していたら全焼していた可能性もあるので、人がいる時間帯だったことも不幸中の幸いだったのかもしれません。
燃える店を前にして立ち尽くしていたとき、スタッフが「大丈夫です、もう一回やり直しましょう」と声をかけてくれて、その言葉に支えられました。
お客様用の個室とカウンターは無事でしたが、バックヤードや料理をする場所が使えなくなってしまったので、しばらく営業は難しい状況でした。スタッフたちには、料理の勉強がしたくて勤めてくれているのに、料理ができない環境になってしまい本当に申し訳ないという話をしました。【鎌倉 北じま】を辞めてもいいし、このタイミングで自分が今後どうしたいか考えて欲しいと伝えたのですが、みんな残ってくれたんです。
ーーーそこから、どのように再建に向けて動かれたのでしょうか。
残ったカウンター内側のスペースにまな板と包丁を設置し、冷蔵庫はある、あとはカセットコンロを置けば料理できるんじゃないかという意見が出て、次の日には再建チームを組み、どうすれば最短で営業再開できるかを話し合い、できることから動き始めました。
2か月半後には仮営業を再開し、半年経つ頃には完全復活しようと日付も決めて予約も受け始めました。お客様をお迎えできるように整えるという覚悟を持って、目標設定ではなく決定をしたんです。
もうダメかなと落ち込んでいた時に励ましてくれたのも、「これだけあればできますよ」と前を向かせてくれたのもスタッフでした。本当は、僕がみんなを前に向かせてあげないといけない立場なのに、逆に彼らが僕を前に向かせてくれたんです。女将さんや【和久傳】時代にお世話になった方々も復旧作業を手伝ってくださり、みなさんそれぞれの能力を生かし、様々な形でお助けいただきました。
火災で失ったものはとても大きく、器や道具も全部燃えてしまい多大な損害を受けました。でも、与えてもらえたものの方が遥かに大きかった。みなさんに励ましていただく中で、落ち込んでいるよりも恩返しをしたいという気持ちが強くなり、くよくよしている暇はありませんでした。
ーーー料理において、大切にしていることは?
僕ら料理人が日々料理をできるのは、命がけで食材を調達し、託してくださる方がいるからこそだと感謝しています。少し判断を間違えれば命を落としてしまうような環境で漁に出てくださっている方もいますし、山には滑落や獣と遭遇する危険もあります。
それぞれ過酷な環境で獲られた食材を、みなさんは笑顔で「どうぞ」と提供してくださるんです。買い物をするだけではなかなか体感できませんが、当たり前じゃないんですよね。農家さんもまた、気象の影響を強く受けます。雨で寒く手がかじかむ日があれば、熱中症の危険がある日もある。そうした中で育てられた野菜は、簡単に得られるものではないと思っています。
だからこそ、食材に携わった方たちに敬意を払うことを大切にしています。敬意を払い、食材に向き合うからこそ、導かれるように生まれてくる料理があると感じています。生産者の方にはこういう思いがあって、こう育て、こう獲ったのだろう、と想像を巡らせていくと、食材から自然と料理が導かれてくる感覚があるんです。
作りたい料理があって、それに必要な食材を用意するのが一般的な形なのかもしれません。けれど、僕ら料理人は、得られた食材から料理を生み出していくことこそ、本来の「食」のあり方ではないかと思っています。
そして、生産者さんが食材にかける想いは、直接お客様には伝わらないことが多い。一方で、お客様の声もまた、生産者さんのもとには届きにくい。だからこそ、その間を取り持つのが料理人の役割だという意識があります。お客様の「おいしかったです」「ありがとうございます」という言葉を独り占めすることは、僕の中では考えられないですね。それぞれの声を、大切に届けていきたいです。
ーーー食材についてこだわりはありますか?
食材選びでは、近郊のものを大切に使いたいなという意識があります。地元のお客様が来られた際に、「私たちの地域にはこんなにおいしい食材があったんだ」「こんな魅力的なものが育つ土壌なんだ」と知って、誇りに思っていただきたいんです。
また、遠方から来てくださる方も多くいます。一度の食事のために2〜3時間、自宅からの往復も考えるとそれ以上の時間を使って来てくださるわけです。大切な時間をいただく以上、他の場所では体験できないことを、食材を通して伝えることがレストランとしての使命だと考えています。
例えば、ブダイやクロシビカマスなど、あまり流通していない魚も出しています。流通の少ない食材も積極的に使うことで、お客様にとっては珍しい体験になりますし、会話が膨らんだり、新しいことを知っていただくきっかけにもなります。
それは、巡り巡って環境保全にも繋がると考えています。クロシビカマスがおいしかったと覚えていただき、別のお店でその名前を見たときに「前に食べておいしかった」「大好きなんです」と会話が生まれれば、その料理人の方も使ってみたくなるかもしれないですよね。そうして扱うお店が増えれば、高い価格でも流通するようになり、漁師さんも高く売れるので獲りに行くようになる。
今は乱獲による漁獲量の減少が問題になっていますが、乱獲されず人気のない魚はまだたくさんいます。漁獲の矛先が分散されれば、それもひとつの環境保全に繋がるんじゃないかと思っているんです。
このままでは、2048年の海は漁獲できなくなる環境になると言われていますから、そういう部分に対しても料理人としてできることをやりたいですね。未来の料理人たちが、ようやく自分でお店を持てた頃には魚が無いというのはかわいそうです。そういう背景も念頭に置きながら、食材選びは慎重にしていますね。微力ではあるが無力ではないと信じています。
ーーーお客様との向き合い方など、心がけていらっしゃることはありますか?
どうすれば楽しんでいただけるかは、常に考えています。日本料理をやっているので、歳時や季節感は大事にしていますね。毎月来てくださるお客様も多いので、設えも料理も先月と同じにはしないようにしていますし、昨年の同じ月ともなるべく違うものにするようにしているんです。必然的に料理の引き出しもたくさん必要になり、修業中のスタッフたちにとっても自身の知見を深める機会になっています。
設えに関しても、以前来られた時と同じでは面白くないので、違うストーリーをつけたものにする。一見なんだか不思議なものを置いているけれど、実はそこにもストーリー性を込めていたり、料理以外の部分も楽しんでいただけるように心がけています。
また、カウンターのお席から、基本的に調理場は包丁以外見せないようにしています。簡素な空間の中で、非日常の料理を味わっていただきたいと考えているからです。調理過程を見る楽しみもありますが、なんでも見えてしまうと、非日常感が薄れてしまいます。非日常の感覚を味わっていただけるのが強みだと考えているので、こだわっているポイントです。
あとは、若いスタッフたちもどんどんお客様の前へ出すようにしています。お客様から「上手になった」「顔つきが変わってきた」と言っていただくこともあり、未来のスターたちの成長を楽しみに、見守っていただけると嬉しいです。
ーーー今後の展望はありますか?
【鎌倉 北じま】を拡張したり、多店舗展開などはまったく考えていません。ただ、細かいアップデートは常に必要です。料理は毎月新たなものに挑戦していますし、設えやお道具、接客に関しても、すべてアップデートし続けていきたいと思っています。
あとは、今いるスタッフたちが将来どう活躍できるのかには、興味があります。スタッフと一緒に未来を思い描けることが、経営者であり料理長である自分の役割だと考えています。将来が見えないことは不安だし辛いことだと思うので、豊かな将来が想像できる環境は常に用意してあげないといけないと思っています。今は店を持つ難易度も高くなっているので、若い世代の独立支援をしたいです。それが挑戦になりますかね。
実際に、今お寿司屋をする予定のスタッフが居て、僕が代わりに資金を借り、鎌倉で彼に任せる前提のお店を立ち上げる準備を進めています。軌道に乗ったら譲渡する形を考えています。
僕だけがうまくいっても意味はありません。鎌倉の「食」全体をどんどん盛り上げていきたいと思っていて、チームを作って情報交換をしたり、鎌倉という街がおいしい街としてさらに魅力を増していくよう、協力してやっていきたいですね。ポテンシャルは高い場所だと思うので、あとはレストランがどう引っ張っていくかだと考えています。そして、生産者の方たちがもっと評価されるようにもしていきたいですね。
ーーー最後に、北嶋様にとって「おいしい」とは?
「尊さ」だと思っています。命をかけて漁に出てくださる漁師さんも尊いですし、魚にも、厳しい大自然を力強く生き抜いてきたエネルギーがありますよね。そのエネルギーに満ち溢れた食材に、お客様も価値を感じるのだと思います。価値であり、エネルギーであり、自然から感じる美しさでもある。そうしたものすべてが、「おいしい」につながるのだと思います。
もちろん、それは魚だけではありません。野菜も、山菜も、肉も同じです。人は食材の中に、力強さや美しさ、そして尊さを感じているのだと思います。それもまた、「おいしさ」を形づくる大切な要素です。
僕たち料理人は、本来ならもっと生きるはずだったかもしれない命の価値をいただいています。そのことを忘れずに、その命の価値を損なわないようにする。そこには、料理人としての大きな責任があると思っています。
料理人の務めは、単においしい料理を生むだけでなく、いただいた食材の命や、そこに込められた想いを受け継ぐこと。北嶋氏の紡ぐ言葉からは、そのような信念や覚悟が伝わってくる。生産者の想いや、食材に宿る大自然のエネルギー、そのすべてを受け継ぎ皿の上に表現する。その価値をお客様に、そしてお客様の喜びを生産者に届けることが料理人の役割だと語る北嶋氏の日本料理を、【鎌倉 北じま】で味わってみて欲しい。
取材・文/AutoReserve Magazine編集部
撮影/馬場 昇一
Nach einer Ausbildung in renommierten japanischen Restaurants lege ich großen Wert darauf, die einzigartigen Werte der Region auszudrücken, während ich auf den erlernten Techniken und dem ästhetischen Empfinden aufbaue. Indem ich die Geschichten hinter den Zutaten sorgfältig aufgreife und in einen Teller einarbeite, schaffe ich ein Erlebnis, das man nur hier genießen kann.