ーーー料理人を志したきっかけは?
父が農家だったので、田植えや稲刈りが終わった節目に「さなぼり(無事に農作業が終わったことを神に感謝し、作業者たちを労う饗宴)」で、年に何度か普段より良い外食に出かける機会があり、回らない「寿司」や「お肉」などおいしいものを食べさせてもらえました。そんなおいしいものを、自分で作ってしまえば食べる機会が増やせると考えたんです(笑)。料理自体作るのも好きだし、ならば料理人になろうかなと小学生の頃から考えていました。高校生になる頃には料理人を目指す想いが定まり、高校卒業後は埼玉の調理師学校へ進み、その後、【銀座 天一】へ就職しました。
学生時代のアルバイト経験も全て調理関係でした。高校生の頃は和食レストラン、調理師学校の頃は寿司屋で働いていました。飲食関係の仕事に馴染んできたので、自分の中で一番苦に感じない労働が調理だったんです。嫌々行く仕事と、そうじゃない仕事だったら、断然後者が天職に近いだろうという考えもありました。
ーーー修行先を選んだ理由はありますか?
調理師学校の先生から勧められたのがきっかけでした。幅広く和食系を学びたかったので、天ぷら屋さんに何年か勤めたとして、その後和食屋さんにも勤める必要があると考え、それでもいいならということで面接を受けました。料理人の世界は途中で辞めていく人が多いので、間口が広くて意外と受かるんですよ。入社当初は30人ほどいるのが、そこからふるいにかけられ、何年か経つうちに5〜6人残ればいいなぐらいの想定をされているように思います。通っていた調理師学校から【銀座 天一】へ就職したのは僕が初めてだったので、僕がまともに仕事ができれば翌年以降も学校から何人かは採ってもらいやすくなると、調理師学校の看板を背負っている意識で一生懸命に勤めていました。
【銀座 天一】には20歳から25歳の5年間、お世話になりました。天ぷら屋さんでは当然ながら最初から最後まで天ぷらがメインになるので、いずれ独立・開業するなら、お造り、煮物、焼き物など、天ぷら以外もコースに含めたいなと考えていたんです。なので、広く学べる和食のお店を探している際に、調理師学校でお世話になった先生からご紹介いただき、地元日本料理店へ再就職しました。個人経営のお店でしたが、僕が修業にいた頃は宴会なども受けていて、週末は当然のように予約で埋まることも多く、200人のお客様を相手にすることがあったりと、大忙しな環境でした。
ーーー天ぷらの魅力に目覚めたきっかけは?
【銀座 天一】に就職した時に、天ぷらってこんなにおいしいのかと衝撃を受けました。天ぷらって2〜3個食べると胃もたれするイメージがあるかもしれませんが、実は天ぷらによっては10個食べても胃もたれしないんですよ。胃もたれしないための揚げ方、衣の作り方があり、【銀座 天一】で20歳の時に食べた天ぷらは、僕がそれまで知っていた天ぷらの常識を変えるほど別の食べ物のようでした。天ぷらの概念を変えるのはやはり天ぷら屋さん自身の使命なんだと思い、イメージ(概念)を変える仕事はやりがいがあるなと思いました。
今でも胃もたれするようだったら失格だ、くらいの気持ちでやっています。そのために毎日工程を踏み、丁寧に仕上げることが料理人の仕事な気がするんですよね。もし胃もたれした場合、御代をいただきませんとまでは言えませんけど。そのくらい軽く食べられるんだと感じていただけないと、お客様はもう来店されないかもしれないじゃないですか。そうならないように、日々自分にプレッシャーを与えながら向き合わないといけないなと思っています。
ーーー修業時代のエピソードを教えてください。
まず驚いたのは、揚げる人によって温度帯も衣の濃さも全然違うことでした。小林さんという、衣の作り方も上手で、仕事が綺麗な方がいたんです。勤めて3年目の頃、配属先が変わり別店舗勤務になった際、脇付きとして隣に付けていただき直々に教わる期間が2年ほどありました。その後小林さんが異動になり、別の方が入れ替わりで来るのですが、在籍していた残りの2年間に何人もの揚げ方さんを見て、僕の感覚では小林さんの天ぷらが一番上手でした。こんなに様々な方の仕事を見ても、彼より上手な方に出会わないから、他にいないのかもしれないと思ったんです。僕にとって彼の天ぷらがベストであって、自分自身の基礎もある程度できたので、これ以上留まっていても自分の天ぷらの技術は向上しないかもしれないと思い、和食の勉強をしていずれ独立しようと考え始めました。
小林さんはもう引退されていますが、それまで独立せず【銀座 天一】で勤めておられました。僕が独立・開業し、数年後に【銀座 天一】の本社に電話して所在を確認したことがありました。指名で天ぷらを食べさせて欲しいと伝え、【銀座 天一 日本橋室町店】にいらっしゃると知りました。異動されてすぐの小林さんに会うことができましたが、ここはガス火じゃなくIHコンロだし、もう年も重ねていて、「ありがたいけど、あの頃の天ぷらを俺はもう揚げられていない」と仰いました。僕が独立・開業したのは小林さんに教えていただいたことが一番のきっかけなので、僕はそれでも小林さんの天ぷらが食べたかったんです。しかしお店が忙しくなり店長さんと交代してしまい、小林さんの天ぷらは食べられず仕舞いでした。昔と変わっていたとしても彼の天ぷらが食べたかったんですよね。自分もそういう記憶に残る天ぷらを提供したいと思いました。
ーーー独立・開業時のエピソードも伺えますか。
【銀座 天一】に5年、地元日本料理店に10年勤めた後、2014年8月25日に【天ぷら 車】をオープンしました。本当は5月頃にオープンするつもりで、2013年の末に地元日本料理店を退職し準備を進めていましたが、銀行の関係や土地の申請などの事情で8月までずれ込んだので、深夜のコンビニでアルバイトしながら食い繋いでいて、その時期は本当に大変でしたね。
実家の土地を改装し店を構えたのですが、元は日本家屋と隣に庭がありました。父の趣味で大きい岩があったり、松の木が植えられて庭園になっていたんです。父が亡くなってしまったこともあり、木や石を外し、地続きを平らに整備してそこにお店を建てました。店舗と駐車場の間を岩で土留めしてあるのですが、庭にあった大きい岩を土留めに使い石垣として残しています。
実家の敷地に建てることを決めた理由は、もしテナントを借りたりすると制約が多くなると考えたからです。路面店や立地の良い場所だとその分費用も高くなってしまいますから、お店がうまく軌道に乗らなかった場合でも簡単には撤退できない。実家の敷地だと万が一失敗しても1〜2年で辞められるじゃないですか。お客様もまだついていない状態で何千万円も借入したとして、お店は建ってもお客様が来なかったらもう潰れるしかないですよね。
僕が考えるコンセプトとして、玄関で靴を脱ぐような、田んぼの中にポツンとある一軒家のカウンターで揚げる天ぷらをやりたいと話すと、妻が「面白いじゃん」と賛同してくれました。ただ、銀行には相当貸し渋られました(笑)。個人飲食店で高級路線の前例がなかったようで、「本当に大丈夫ですか?」という調子で余計に融資が遅れたんですよ。細かい想定までかなりシビアに事業計画を練って、ようやく融資を受けられました。館林の市内なら補助金や助成金がありましたが、ここは市街化調整区域なので、田んぼや畑の土地を残したいという方針があり、何のサポートも無い状態で融資と自分の手持ちだけで始めることになりました。
今回のような取材や口コミを通して少しずつ【天ぷら 車】の知名度が上がって、市の方からふるさと納税の協力要請があり、今ふるさと納税もやっているんですよ。館林市に5万円の寄付で、1万5千円分の食事券をつけています。
ーーー料理や食材について大切にされていることはありますか。
基本的には”手作り”です。これは僕の考えですが、業務用の惣菜や化学調味料は使いません。全部が悪いわけではありませんが、減農薬だったり防腐剤やワックスが使われているものがあるので、輸入物も極力控えています。【天ぷら 車】で使っているのは、市場からの魚や地元野菜直売所、農家さんから直接仕入れなどによる高鮮度食材です。料理に関しては自分が使いたいと思うものを直接見て仕入れています。
あとは「香り」ですね。御代を払って食事するのに、おいしいという条件は絶対必要ですから大前提としながら、食材の香りや食感を大切にしています。香りがなければ味もしないので、鼻をつまんで食べたら何を食べているか分からないですよね。そのくらい香りは重要だと思うので、香りを味わううえで、鮮度の良さも意識します。野菜も日が経てば、見た目は変わらないのに香りが抜けて味も薄くなりますし、野菜でも魚にしても素材自体が良くないとやはり良い香りって出ないんです。
仕入れは週3回に分けていて、【天ぷら 車】は水曜が定休日なので、月・木・土にそれぞれ2日分を仕入れてきます。食材のロスが減りますし、マメに仕入れて鮮度の良いものを揃えています。豊洲市場へは館林から高速道路で1時間半ほどかかりますので、朝の4時半頃に出ます。出発が遅れると渋滞に巻き込まれて、欲しい魚が買えなかったりと困るので。絶対必要なものは注文しておくこともできますが、当日自分で見ながら選びたい食材もあるので、早めに到着し自分の目で吟味するのも食材へのこだわりですね。
ーーー今後の展望について聞かせてください。
2026年8月25日にリニューアルを控えています!より良い空間で落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりと食事をしていただきたいのが理由です。多店舗展開などは考えていません。今はただ、【天ぷら 車】に食事にお越しくださって、天ぷらをおいしいと思っていただける人の数を増やしていきたいです。常連の方も新規の方も、途切れずにお客様にお越しいただけることが一番ありがたいことなので、あまり大それたことは考えておらず、毎日お客様と天ぷらに向き合い、それ以上に何がしたいというのはないんです。
仕事は日々の積み重ねが最も大切だと考えています。店舗を増やしたとして、同じ品質を保つのは難しいと思っていて。毎日鍋の前にいるからこそ、今鍋の中の油がどういう状態なのか、どのくらいの温度になっているのかが分かるようになる。寿司職人さんも、感覚でおおよそのシャリのグラム数が分かるようになるじゃないですか。毎日食材に向き合う職人だからこそ、食材がいつもより元気がないなとか分かるようになるんですよね。例えば魚のキスは産地の違いで、江戸前(東京湾産)は肉厚だったりします。同じ全長があっても、他の産地のものより江戸前はふっくらしているな、という感覚は毎日触っているから気付くことで、それを今日突然触った人にはおそらく分からないんですよ。些細な部分ですが、お客様に伝わるかではなく、僕らがより良いものを使いたいかどうか、最高の状態でお客様に提供したいからこそのこだわりです。
毎日が繰り返しなので、代わり映えなく単調に思う人もいれば、僕にとっては毎日の作業が同じであっても、内容は昨日とは違います。天ぷらの衣を作る作業一つとっても、千回溶けば千通りの天ぷら粉ができるわけで、小麦粉の粒子が10粒でも違えば当然違う衣が出来上がります。分量も細かく決まっていないので、毎日衣を作りながら、今日は衣の調子が良かった、昨日より良くなかった、とかお客様に伝わらない細かな部分であっても日々意識しています。その場に合わせて的確な衣を仕上げられるようになるのも成長だと思うので、毎日が挑戦です。料理の出来栄えは本当に人によっても違いますし、自分の中でもムラがあるので、いかに安定できるかはやり続けるしかないですね。
ーーー最後に、車﨑様にとって「おいしい」とは?
おいしいものを食べるという体験は「究極の贅沢品」ですよね。特別なタイミングでの外食って多いと思いますが、記念日に時計や財布などを買う場合、形としても残るじゃないですか。その後大切に使い続けることもできる。ところが、食べ物の場合は「あぁ、おいしかったな」という体験はあれど、基本的には何の形にも残らないですよね。撮れば写真は残りますが、思い出しか残らない嗜好品。時計と同じ御代を払って食事をしても、残るのはその印象や、おいしかったなという記憶しかないことを承知のうえで、1〜2時間で終わってしまう食事体験を選択していただいたわけです。遠方から何時間も掛けて来られる方にせよ、車で5分で来られる方にせよ、皆さんわざわざお越しくださるわけで、その気持ちに応えられるのが、料理としてのおいしさなのかなと思いますね。
料理は食べれば消えてしまい、残るのは「おいしかった」という形のない嗜好品。それでも、その時間を求めて店を訪れるお客様の気持ちに応えられるかどうかが料理人の仕事だ、と車﨑氏は語る。最良の状態で応えるため、素材の鮮度にこだわり、油の状態、衣の濃さ、食材の水分量を見極めながら、日々鍋の前に立ち続ける。昨日と同じように見える作業の中にも、毎日違う発見と挑戦。車﨑氏が積み重ねる時間を纏った天ぷらを、是非【天ぷら 車】で味わってみてはいかがだろうか。
取材・文/AutoReserve Magazine編集部
撮影/馬場 昇一
Tempura Kuruma is a tempura specialty restaurant located in Tatebayashi City, Gunma Prefecture, where you can enjoy carefully selected seasonal ingredients. The tempura, fried in premium white sesame oil and copper pots, allows you to savor the true flavors and aromas of the ingredients. In particular, the tempura of anago (conger eel), created with freshness and skill, captivates visitors with its fluffy texture and rich umami. Enjoy a luxurious moment in a calm atmosphere, relishing the sounds and aromas of freshly fried tempura at the counter seats.