ーーー料理人を目指したきっかけは?
経済的な事情でした。28歳の時に、母と妹を養わなくてはいけないという家庭環境になりまして、腰を据えて自分の商売を始めようと志しました。自分には何ができるだろうと考えた末に、飲食をやろうと覚悟を決めたところで、【たんたん亭】本店の店主である石原氏と知り合い、ご縁でラーメン業界に入りました。それまでは、商売をやろう、飲食をやろうとは、微塵も思ったことはありませんでした。
ーーー飲食業は競争が激しくリスクも高いと思いますが、挑戦された想いをお聞かせください。
商売を始めるにあたり、自分には何が向いているのか、今までの自分の人生で何か興味や得意なことがあったかと考えた時に、「食」に関することが思い浮かびました。子供時代から家庭で料理を作り続けてきたので、料理ならばできるのではないかと。ただ、料理ができるといえども、今からフランス料理や日本料理など専門的な料理の修行をおこない、技術を習得してから開業するにはハードルが高すぎると思いました。リスクはもちろんありますが、ラーメンという単品料理であれば、新規参入のハードルはそこまで高くないのではないかと思い、5年後には開業する計画と決断をしました。【たんたん亭】の石原氏には、「5年後に独立します、それまで教えてください!」と了承を得て、修行に入らせていただくことになりました。
ーーー小さい頃から「食」に関心をお持ちだったと?
10歳の時に父が亡くなりまして、母も働きに出て家に居ない時もあり、兄妹のご飯も作るということをその頃から始めておりました。自分でお弁当を作って学校に持っていくということもしていましたね。一般的な家庭料理は、中学生の頃にはできるようになっていて、当時から料理は嫌いではなかったので、素質はあったのかもしれませんね。
ーーー28歳で料理人を志す以前は何をされていたのですか?
母子家庭という事情もあり、大学進学は厳しいかもしれないと先生に言われ、就職に有利な工業高校に行くことになりました。当時(1969年頃)は高度経済成長の最盛期でしたので、就職状況は最高に良かったのです。工業高校を卒業後、建築業界の設備系会社に就職し、一年ほど働きましたが、やりたいと思っていたことではなかったので辞めてしまいました。
自分の好きなことをしようと夜間の大学へ入りなおし、アルバイトをしながら在学中はバックパッカーを経験するなど、自分なりに寄り道しながら25歳で大学を卒業しました。その後は、ルポルタージュを書く夢を叶えるべく出版社へ入社したのですが、思い描く夢は叶えられそうになく、結果的に一年ほどで出版社を辞めて、フリーターのような形で色々と模索しながら過ごしていました。
その後28歳の頃、青天の霹靂のように妹が不治の病になってしまい、妹と母親を養っていかなければならないという状況になり、一念発起して商売(飲食業)をやる決断に辿り着きました。28歳からの敗者復活戦みたいなもんです(笑)。
ーーー数あるラーメン屋さんの中で【たんたん亭】を修行の場所に選ばれた理由は?
全くの偶然なんです。当時はラーメンブームの先駆けで、人づてに繁盛している店があると聞き、出逢ったのが【たんたん亭】の店主、私の師匠でもある石原敏(いしはら さとし)さんでした。
彼も生粋の料理人ではなかったんです。【たんたん亭】を興す前は何をやってらした方かと言うと、文学座の研究員で舞台俳優でした。師匠もなぜ飲食を始めたのかというと、結婚して家族を養わなければならない中で、舞台人としては大役につけず、やっていけないという状況下にあり、ならば自分の好きな飲食をやろうとラーメン屋を、厳密に言えば町中華を始められたんですね。町中華から始まってラーメンの専門店になっていかれました。
ーーー修行時代の印象的なエピソードなどはありますか?
師匠は、ラーメンにこだわらず「食」というもの全般に対して研究心旺盛な方でした。私が入店して3ヶ月が経った頃、フランス料理の修行に渡仏してしまったんです(笑)。私に【たんたん亭】のレシピを全て教え込み、他店から中華料理のチーフを連れてきて、「二人で力を合わせてがんばれよ、行ってきまーす!」と、そういう方なんです(笑)。
師匠は固定概念に囚われず非常に自由な発想をされる方でしたので、当時も世間で言われていた一般的なラーメンからちょっとかけ離れたラーメンを作っていたんです。昨今のラーメンブームの中でも、師匠が作り上げたものが影響を及ぼしていると感じる部分は多いですね。師匠は、町中華に対する世間のイメージや既成概念に囚われることなく、「本物とは?」を常に考える方でした。我々が慣れ親しんだ中華料理は日本に持ってこられた日本式にすぎず、本場の中国料理の調理技術や料理を実際に見て肌で感じ、研究して自ら実践することにも取り組まれていました。
「ワンタンメン」の基本の細長い麺から離れた発想の麺づくりだったり、ローストした「焼豚」をラーメンに乗せるなど、今でこそ吊るし焼きやオーブンで焼いたものがありますが、当時のラーメンの焼豚と言えば「煮豚」が一般的でした。煮豚を作り、煮汁をラーメンの醤油ダレに使うというのがラーメン屋の基本的な作り方だったんです。師匠の発想力や柔軟さは間近で見ていて本当に良い学びになりましたし、師匠の本物志向はお客様にも驚きを与え、「焼豚ってこんなおいしいんだ」と大好評でした。常に本物の味を突き詰めて作り上げていたのが【たんたん亭】のラーメンだったと思います。
ーーーお店を任された時はどうでしたか?
技術的には未熟でしたが、師匠が帰ってくるまではチーフと二人体制でやりきりました。そして、ようやく師匠が帰ってきて、これから一緒に店を運営するのかと思いきや、「じゃあ任せたよ」と私が店長になりました(笑)。入店して一年半くらいのことです。調理仕事は苦じゃないので、以前の仕事環境に比べたら毎日楽しく機嫌良く働いていました。辛いと思ったことは無いです。苦労した部分は人間関係ですね。店を運営するうえで、当然一人で全ての仕事はできないですから。当時の私は若く生意気だったもので、年上の従業員が言うことを聞いてくれないこともありましたが、ラーメン作りに関して苦労や辛さはありませんでした。その後、当初の予定通り独立も叶いました。師匠は潔い方で、「いいよ」と二つ返事で保証人にまでなっていただき、「がんばれよ」と応援の言葉まで掛けてくださり、師匠には一生返せないほどの恩があります。
ーーー独立を機に特に力を入れて取り組まれたことは?
一番大きく挑戦したのは自家製麺です。最初は店舗スペースの関係でできませんでしたが、店舗を拡大したタイミングで始めました。麺にはコシが大事だと思います。単に硬ければ良いのではなく、弾力が必要で、滑らかな口触りでスープもしっかり絡む麺はできないのかと悩んでいました。製麺屋さんではどうしても理想の麺にならなかったんです。工場から出荷する際の運搬する時間や消費されるまでの時間が考慮され、条件に合わせた麺を作ることになるので、当然添加物も品質のために必要になります。自家製麺にすることで、添加物を一切使わない麺が実現できるようになりました。麺づくりに重要な粉の選定から熟成まで、全て自分でコントロールができるというのも大きなメリットです。一日寝かせる麺生地は使用する直前に切ることで、麺のコシ・しなりを損なうことなく切り立ての良い状態でお客様に食べていただけます。自家製麺を始めて10年程でようやく納得のいく形になりました。
ーーーお子様連れのお客様にも独自のおもてなしをされているそうですね。
当店にはお子様連れもいらっしゃいますし、触れ合っていくうちに、どう対応するのがお客様のためになるかというところから始まりました。特に小さい子連れのお客様は、ラーメン屋に子どもを連れて行っても良いのか心配されることが多いんです。なので、こちらから些細なことでもお声掛けすることで、迎え入れられているという雰囲気が伝わると思うんです。小さい子連れだと皆さん行くところが無いんですよね。親御さんたちの中で、「あそこはおいしいし、子連れでも行きやすいよ」と伝えてもらえれば良い循環になると思っています。特に話題のラーメン屋はほぼカウンター席だったりで、子連れではなかなか行けないですよね。本来「食」とは人を笑顔にするもので、お客様との触れ合いによって、私たちだけでなく店全体の空気感も明るいものになれば良いなと思うんです。
ーーー親御さんが注文したものを子どもとシェアするというのも容認されていますよね。
来店動機を持ってくれたのが親であれ、子であれ、家族で来店する形になると思うので、そういう意味でも親子で一つという感覚です。お子様であってもスペース的には一席を埋めるので、単価や回転率をもっと考慮することもできますが、お子様が居る分空間はゆったりするので、店全体で考えた時に私はこれで良いと思っています。客単価にもさほど影響はしないんです。特にそういう風に思い始めたのは、コロナ禍がきっかけでもありました。おひとり様でカウンターに座ったとしても、すぐ隣に他の人が居るのではなく、衝立や椅子一つ空いている方が落ち着いてゆっくり食べられますよね。お連れ様同士であればすぐ隣でも良いと思うので可動式衝立にして、お客様に応じて柔軟に席を用意できるように変えました。ゆとりのある空間でラーメンを食べられる、それも「味」の内だと思っています。ぎゅうぎゅう詰めの狭い中では、おいしく食べた気にならないじゃないですか(笑)。実際このやり方にしてゆとりを作っても、回転率は悪くないですし来客数も減ってません。居心地の良さも含めて来店動機となってリピートしてくださってる結果だと思います。
また、当店は中休みを無くした通し営業なので、ゆったり食べたいお客様は混んでいない時間にも来てくださる。通し営業の店はあまり無いので、同業者の方が来店されることも多いんですよ。
ーーー従業員の独立も積極的に支援されているようですね?
私が師匠から受けた恩を、同じように次の世代にもしてあげたいんです。店を持とうとする気持ちは、仕事をするうえで大きな動機になる、目の前の仕事が全て自分のための仕事になりますから。夢や目標など強い想いを持った人材が居ることは、店主である私にも従業員個人にも、互いに大切なことだと思います。私は妹と母を養うため、28歳でラーメン屋を志して飲食の世界に入りましたが、独立して5年経たないうちに2人とも亡くなってしまった。その後、私には妻と3人の子どもができて、家族を養いながら自分の家を持ち、子どもたちの教育も実現できました。いわゆる一般的な安定したコースからは外れていましたが、これは「ラーメンドリーム」だと思うんです。君たちもできるんだと従業員たちに伝えています。また、仕事を覚えてすぐ卒業するのではなく、学んだことを活かし、店に還元してから独り立ちするまでのサイクルを5年とし、次の若いスタッフに引き継いでいくという循環が作れたら、常に意欲の高いスタッフがいる店づくりにも繋がると考えています。
ーーー今後の展望について何かお考えはありますか?
なるべく長く店を続けたいと思っています。店舗拡大は考えていませんし、子どもたちは誰も店を継ぐ気はなさそうです(笑)。従業員から事業意欲があって、「勉強するのでやらせてください」という人が出たら応援しようと考えていますが、そんな人材が出てくるまでは私が続けます。私は今69歳になりましたが、この仕事が好きで楽しく働いているからこそ元気でいられると思うので、あと10年は続ける予定ですよ。
ーーー最後に、數家様にとって「おいしい」とは?
居心地の良さ、店の空間も含めて「おいしい」だと思います。味覚の満足だけでは足りなくて、五感全てに心地良さを与えてくれることが大切で、おいしいご飯だけであればどこでも食べられるわけです。その店ならではの空間であったり演出も含めて、味わえること。それこそが私の考える「おいしい」だと思います。
暖簾をくぐれば、師の教えを守りつつ、自らの「おいしさ」も追求し続ける數家氏の哲学が息づいた空間が広がる。飲食店において回転率など効率化が重視されがちな昨今、ただおいしいラーメンを提供するのではなく、満足を与えたいという強い意志を持ち、店頭での接客のみならず公開掲示板にお客様の声を募り店主自ら回答するなど、常にお客様へ寄り添う姿勢を大切にする數家氏。その想いが長く愛される味の要素にも含まれているのだろう。數家氏の魂を込めた極上の一杯を、是非味わってみて欲しい。
取材・文/AutoReserve Magazine編集部
撮影/安井 智洋
Founded in June 1989 in Meguro, this long-established ramen restaurant is especially famous for its wonton noodle soup. The restaurant places importance on handmade taste and provides customers with safe and satisfying products on a daily basis. The restaurant is spacious and clean, with counter and table seating. The owner and other staff members provide a comfortable and pleasant atmosphere.