ーーー料理の道に進んだきっかけを教えてください。
裕二氏:両親が共働きで、小学生の頃からお腹が空いたら自分で作るという習慣が元々ありました。大きくなってからは友達を呼んで食事会をしたり、飲み会後に自分の家で料理を作って二次会をしたりしていて、料理を作って喜んでもらうことが好きでしたね。大学は理学部に進み理系の進路を考えていましたが、大学3年生の就職活動で改めて自分のやりたいことを考え直し、単身イタリアへ旅に出ました。現地の空気も感じる中で料理を作ることが好きだと改めて気付き、料理の道で生きていこうと大学卒業後はイタリアに渡って修業を始めました。
数ある西洋料理の中からイタリア料理を選んだのは、パスタなどのイタリア料理が元々好きだったことに加え、技術やテクニックに固執するよりも料理を楽しみたいという想いがあったからです。また、大学時代にイタリアンの巨匠といわれるシェフが次々と登場し、イタリアンブームが起きていたことにも影響されましたね。
亜佐美氏:私も大学は理系でした。医療系の学部を出て、リハビリの資格を取って地元に戻り、一度病院に就職しました。主人とは高校の時から一緒で、いつか一緒に何かやりたいねとは話していました。私は医療職も好きではありましたが、主人と一緒に同じ場所の空気を味わい、体験していった方が二人の間で差も生まれないのではないかと話し、約3年働いた後に仕事を辞めて私もイタリアへ渡りました。
ーーーイタリアではどのような経験をされましたか?
裕二氏:イタリアではトスカーナのシエナの語学学校に入り、6店舗のイタリア各地のレストランで働きました。和食の世界では料理人になるまで長い年月の下積み期間が必要とされますが、イタリアでは経験がなくても「じゃあパスタ作ってみようか」とすぐにやらせていくスタイルで、様々な経験を積むことができてありがたかったですね。また、言葉も話せるようになったことで交流も深まりましたし、家族のように温かい人たちに恵まれてとても楽しかったです。
亜佐美氏:イタリアで合流してからは、主人の友人の家族経営店で一緒に働き始めました。仕事として料理をするのは初めてでしたが、温かく迎えてくださったので働きやすかったですね。イタリアには主人は計5年半、私は2年半滞在し、最後の1年半はスペインで働きました。
ーーー料理を作る際、どんなことに悩みましたか?
裕二氏:現地の人たちが求める味になかなか近付けなかったことです。イタリア家庭料理の本当に細部のニュアンスまで理解しきっていないと、現地の人が「おばあちゃんの味」と感じるような味を表現するのは難しいと思うんです。
亜佐美氏:例えば外国の方が日本の家庭料理の味噌汁を作っても、小さい頃から味噌汁を食べているわけではないので、家庭の味を表現するのはなかなか難しいですよね。もしおいしかったとしても、どこか物足りなさを感じてしまうかもしれない。同じように、私たちがイタリアで料理を作っていた時に家庭料理を表現する上で感じた難しさでした。
裕二氏:現地にいた頃から【SHÓKUDŌ YArn】のコンセプト・構想は練り始めましたが、僕たちが十分に理解しきれない料理を作って、同じように食べる方たちもその料理に馴染みがなかった場合、その料理の本当のおいしさは一体どれくらい伝わるのだろうかと思いました。
日本のイタリア料理店は、日本の食材を使いながらイタリア料理をベースにしたものが主流だと思いますが、僕たちは日本料理をベースにしながら様々なアプローチを加えていくやり方の方がしっくりきました。そして、日本料理の中でも皆さんが知っている家庭の味をベースに、アプローチを変えて表現していくことにしました。現在僕たちが作る料理は、食べた時にどこか懐かしい味わいがありつつも、変化やギャップを楽しんでいただけることが大きな特徴となっています。
ーーー日本にはどのようなタイミングで帰国されましたか?
裕二氏:スペインでそのまましばらく働く予定でしたが、ビザの問題でその後の滞在が危ぶまれたことがあり、このまま現地で働き続けるべきか考え直すきっかけになりました。当時僕たちは30歳目前でしたし、すでに自分たちの店をやりたいというビジョンもありました。料理の経験を積むという点では、そのまま残れば様々な経験ができたと思いますし、それも一つの選択肢ではありましたが、このまま現地にいるよりは自分たちの目指す方向へ歩いていこうと話し合いました。ビザの問題も、もしかしたら自分たちの道を進むための何かの縁なのかもしれないと話し、帰国することを決めました。
亜佐美氏:現在ミシュランガイドは日本の地方にも来ていますが、10〜20年程前はありませんでした。でも、ヨーロッパでは星を獲得する名店は田舎にも多く、各地域性を生かした料理で世界中からお客様を集めているのを目にして、私たちにとっては生まれ育った場所でやることの方がしっくりきたんです。帰国後は、自分たちが一番よく知っている土地である地元の金沢に帰りました。
ーーー日本に帰国後はどのような経験をされましたか?
裕二氏:元々日本で料理の仕事を経験せずに海外に渡っていたこともあり、日本人としてのアイデンティティを見失い、現地にいる間はそれがコンプレックスでした。日本に戻ってきてからは、日本人として自分たちの文化を知らなくてはと思い、日本料理屋で修業を始めました。また、茶道も習い始めるなど、自分の日本人としてのアイデンティティを取り戻すような期間だったと思います。日本人として土台となるものを知ることは大きな経験でしたし、現在の料理にも反映されていますね。
亜佐美氏:帰国した時、私たちはすでに12〜13年の付き合いになっていましたので、まず結婚をしました。その後3人の子どもに恵まれて、私は子育てをしながらパン屋やお菓子屋で働いて料理から離れないようにしていましたが、なかなか店を始めるタイミングが合わず、焦りを感じた時もありました。具体的に開業に向けて動き出したのは、40歳手前の頃です。
ーーー開業に向けて動き始めたきっかけはありましたか?
亜佐美氏:当店は元々実家で所有していた撚糸工場の倉庫で、土地として候補の一つには挙げていましたが、店としてそのまま使うイメージは当初はありませんでした。しかし、相談した設計士さんに空間全体を活用した店づくりができると言われ、本格的に動き出しました。どんな料理を提供するかは言葉で説明するのが難しいので、実際に自宅に招いて料理を食べていただいたりして、どういうコンセプトで店をやりたいのか具体的に伝えていきました。設計士さんも理解してくださって、お互いに良い関係を築きながら設計・施工が進み、私たちの意図が込められた建物が完成しましたね。
ーーー空間づくりでこだわっていることを教えてください。
裕二氏:料理には和と洋の両方が入っているので、空間づくりでもどちらのエッセンスも盛り込むということをテーマにしました。窓から中庭の見える空間はどこか懐かしい日本家屋の設えをイメージし、中心にはヨーロッパで平和の象徴とされるオリーブの木を植えています。
また、店内は全ての席からガラス越しにオープンキッチン全体を眺めていただくことができます。ヨーロッパではオープンキッチンというスタイルはあまりメジャーではありませんでしたが、日本には元々根付いているスタイルで、お客様の表情も見ながら双方向のやりとりができるので、僕たちのやりたい方向性とも合致しました。各テーブルの横にはカウンターを設けており、そこでは目の前で料理を仕上げる工程も楽しんでいただくことができます。お客様との距離も近く、お互いの空気が感じられる空間に仕上がりました。
ーーー料理を作る上でどんなことを大切にしていますか?
裕二氏:日常と非日常の使い分けを意識しています。例えば、蒸した熱い缶詰やスーパーの袋から開けて食べていただくなど、レストランではしないような体験をあえて提供しています。皆さんにとって日常的なものを、レストランという非日常空間で体験することで生まれる面白さがあると僕たちは思っています。また、笑いのエッセンスも欠かさずに入れるようにしていますね。例えば当店で提供している「肉じゃが」は、味は肉じゃがのまま、見た目や触感を少し変えているのですが、見た目と実際に食べた味のギャップを持たせるということが僕たちの料理のテーマになっています。
亜佐美氏:コース料理を構成する際は各料理でギャップの振れ幅をどの程度出すのかなど、全体のバランスを考えながら決めています。皆さんがほっとするようなものや日本人らしさを感じられるようなものをベースに作っているので、来ていただくとどこか懐かしさを感じていただけるかもしれません。アイディアは日常生活の中で湧くことも多く、これをレストランでやったら面白いんじゃないかと話して形になることも多いですね。
ーーーメニュー表の料理名がユニークですね。
亜佐美氏:メニュー表からはどんな料理が出てくるか分からないと思いますが、ここにも食事を楽しんでいただきたいという私たちの想いが込められています。当初は、日本語の「ことば遊び」の要素も入れたら面白いかなという発想で言葉を少しだけもじった程度だったのですが、思いのほか楽しんでくださるお客様が多かったんです。「この料理名はもじってないの?」と聞いてくださる方もいて、ならばもっと名前も楽しんでもらえるよう工夫しようと現在の形になりました。お客様の反応や提案も踏まえて、メニュー名は随時変えています。基本的に料理は季節毎に変えていますが、月によっては料理は変わらず名前だけ変えることもあります。「メニューを見て次の料理を待つ時間は、遊園地でアトラクションを待っているみたいでワクワクする」と言って楽しんでくださるお客様もいらっしゃり、嬉しいですね。
裕二氏:メニュー名をはじめとする当店のユニークさから、客層は40〜50代とある程度限られるかなと開業当初は予想していましたが、実際には7歳のお子さんから103歳のおばあちゃんまで、幅広い年代の方にお越しいただいています。ご家族で楽しんでくださる方も多いですね。
ーーー食材の仕入れ先はどのように開拓してきましたか?
亜佐美氏:ゼロからスタートの状態でしたので、各地の生産者さんを探してきました。わずかな量の農作物しか作っていないという生産者の方も少なくないので、直接足を運んで声をかけてみたり、知り合いから新たに紹介してもらいながら少しずつ関係を築いてきましたね。食材は能登や小松・能美・七尾の食材など、ほぼ石川県産のものを使っており、水は能美市の遣水観音山霊水堂の霊水を汲み、箸は能登ヒバの香り箸を使用しています。器も石川県の作家さんのものを使っており、木製品はオーダーメイドで作っていただくことが多いですね。九谷焼はシンプルなデザインで料理と合わせやすいものを使ったりしています。
裕二氏:能登の食材も多く使ってきた中で、震災の影響で生産ができなった生産者さんもいらっしゃいます。通常料理を提供する際には何の食材を使っているかもお伝えしますが、震災で失われてしまったものも知っていただきたいという想いから、使うことができなくなった食材についてもお伝えをしています。例えば珠洲市「中前製塩」の職人さんが亡くなり、塩が採れなくなったことや能登のじゅんさいが採れなくなったこと、器の作家さんが被災して能登を離れてしまったことなど、震災の記憶を風化させないためにも伝えるようにしています。
ーーー【SHÓKUDŌ YArn】として表現をする上で心がけていることはありますか?
裕二氏:世の中の料理には独創的で表現に凝っていて、説明しないと分からないような表現もあると思うのですが、料理は分かりやすさが大切だと僕たちは思っています。試作品を作ってみた時に、スタッフに食べてもらい一番最初に期待した言葉が出てこなかったら、それは伝わる料理にはなっていないとして却下することもあります。僕たちは少し変わった料理を作っているからこそ、きちんと食材の味がしたり、「この味を表現している」ということがはっきり分からないと駄目だと思っています。
海外にいた頃、スペインの創作料理の世界では様々なテクニックや表現が生まれていました。ですが、そこにばかり走りすぎて伝統を疎かにすると空虚なものになってしまうよね、という話をシェフ同士でよくしていました。やはり土台がないところでテクニックばかり積み重ねていっても、料理として成り立ちません。だからこそ、土台がしっかりとあるところで表現をする、ということを大切にしています。
ーーー料理人のお二人に対して、3人のお子様からの反応はいかがですか?
亜佐美氏:私たちは共働きでレストランをやっていることもあり、店をきちんと職場としてみてくれていて、仕事への興味や理解を持って応援してくれています。時々、子供たちを招待して食べに来てもらうこともあります。コロナ禍の休業期間中は学校もお休みだったので、店に勉強しに来て、木のテーブルに向かって勉強している姿がまるで学校のようで(笑)、子供たちとの時間を感じられる期間でもありましたね。店をオープンするまで子育てなどでブランクが空いて焦りが生まれた時期もありましたが、子供たちが育っている姿を見ると、当店を頑張ってきて本当に良かったと思います。
ーーー今後の展望を教えてください。
裕二氏:去年、愛媛の老人介護施設で料理を提供する機会があったのですが、高齢者の方々の反応がとても良く、楽しんでくださいました。僕たちが料理を始めたのは食事を通して笑顔になってほしい、楽しんでもらいたいという想いがベースにあります。そのため、高齢者施設や病気と向き合っている子供たちのいる小児病棟などで、「一瞬でも良いから楽しい時間を過ごしたい」と願っている人たちに、笑顔になれる時間を提供できたらと思っています。
毎年、僕たちはクリスマスに店を貸し切りにして、小松市の児童養護施設の子供たちを招いて食事会を開いています。クリスマスに親がいなくて寂しさを感じる子供たちの少しでも力になれればと思い、オープンして2〜3年目からずっと続けています。最初の1年目は子供たちの表情は暗く、好き嫌いも多くて警戒心も強かったのですが、だんだん皆んな笑顔になってきて、おしゃれをして来てくれたり、毎年楽しみにしてると言ってくれて、長年やってきて本当に良かったと思います。これからも僕たちの料理を通して、様々な人たちに笑顔を届けられたら嬉しいですね。
ーーー最後に、お二人にとって「おいしい」とは?
裕二氏:僕にとっては、楽しいですね。笑顔で楽しく食べることが一番おいしく感じます。お母さんの料理はおいしいと言われますが、他の料理と何が違うのかというと、愛情が込められているんですよね。同じ料理でも気持ちが込もっていない料理はおいしくないと思うので、想いが込められた料理であることが大切だと思います。
亜佐美氏:お母さんの作るお弁当がたとえ冷めていたり、冷凍食品だったとしても、「自分のために用意してくれた」という安心感があるから、おいしく感じたりしますよね。当店にいらっしゃるお客様の中には、「おいしかったです」と言ってくださるだけでなく、「楽しかったです」と言って帰られるお客様もたくさんいらっしゃいます。やはり「楽しい」とかほっとする気持ちがあると、「おいしい」が生まれるのかなと思いますね。これからもこの場所で、私たちらしい料理とおもてなしで、お客様に笑顔を届けていこうと思います。
店名の「Yarn」は編み糸を意味し、様々なエッセンスを撚り合わせ、ここでしか表現できない料理を創造していきたいという意味が込められている。メニュー名のユニークさやシェフによるコミカルな紹介に思わず笑みがこぼれ、料理を口にするとシンプルかつ明瞭なおいしさが確かな技術を感じさせる。「お客様に笑顔で食事を楽しんでほしい」という米田夫妻の愛情が溢れるこの空間で、ぜひ【SHÓKUDŌ YArn】の世界を存分に味わってほしい。
取材・文 / 佐田 優佳
撮影 / 中岡 あずさ
This fusion restaurant in Komatsu City, Ishikawa Prefecture, is run by Mr. and Mrs. Yoneda, who trained at a world-renowned modern gastronomy restaurant. We hope you will experience their delicious and unique cuisine.