ーーー料理人を志したのはいつ頃からですか?
最初に料理に興味を持ったのは、小学校一・二年生の頃に観たテレビの料理番組です。小麦粉と水を混ぜたうどんのようなものが紹介されていて、私も真似して作った記憶があります。今まで見たことも食べたこともない料理が目の前でみるみるできあがっていくので、当時はテレビ画面に釘付けになりました。そして、小学校の高学年になると「料理の鉄人」が始まり、いよいよ料理人への憧れが強くなりました。卒業アルバムには「将来はシェフになる」と書き、中学校の卒業アルバムでは「シェフになって海外に行く」と宣言したぐらいです。
ーーーその後も料理の道にまっしぐらだったのですか?
実家は鹿児島県の奄美大島で電気屋を営んでいましたが、私は四人兄弟の末っ子ということもあり、自分が跡を継ぐことはないだろうと幼い頃からなんとなく感じていたように思います。ところが、島を出て、鹿児島市内の高校に通い始めてからは遊びに夢中になってしまい、料理人になる夢は頭の中から消えていましたね(笑)。「自分は料理がやりたかったんだ!」ということを改めて思い出し、目標を設定したのは、高校を中退して自分の生き方を見つめ直したことがきっかけでした。料理人を目指す覚悟を決めて、父親に頭を下げ、大阪の調理師専門学校への進学を認めてもらいました。
専門学校卒業後は九年ほど大阪で働き、30歳でフランスへ渡りました。自分で店を持つ前に、本場の三ツ星レストランでキャリアを積んでおきたかったからです。2007年から約二年間、パリの「タイユヴァン」「ミーティング」「ホテルムーリス」などで修行をし、グランメゾンの世界にどっぷりと浸ることができました。技術的な面での学びももちろんありましたが、伝統と前衛性が融合した「本物のフレンチ」をこの目に焼き付けることができ、将来のビジョンを描くうえでとても貴重な経験になりました。
ーーー日本に戻られてから、すぐにご自身のお店を始められたのですか?
帰国後しばらくは日本のレストランで働くつもりだったのですが、なかなか縁に恵まれず…。ひとまず精肉店でアルバイトを始め、たまたま好条件の物件に空きが出たと知り、思い切って自分で店を開くことを決意しました。
ーーー2012年に初めてミシュランの星を獲得されていますが、当時の心境は?
開業から二年目で一ツ星をいただきましたが、当時の私は試行錯誤の真っ最中で、気持ち的にはモヤモヤしていた時期でした。料理にしても店の運営にしてもどの方向に進めばよいのか、迷路にはまっていましたね。開業当初は、カジュアルな空間で本場フランスの三ツ星クラスの料理を提供することをコンセプトにしていましたが、当時のお客様にはあまりピンとこなかったようです。今までにないものを創り出すことの難しさを痛感しました。
料理についても、フランスと日本では素材自体が違うので、フランスでやっていたことをそのまま日本で再現するのはどうしても無理がありました。肉にしても野菜にしても、使う素材によって味わいは全く変わってきます。そこで、日本の食材の魅力を引き出す調理法や表現法を模索しながら、自分にしかできないフランス料理を追究していくことにしました。
フランスの20余りの州それぞれから、日本人には馴染みのない古典料理をピックアップして「La Cime流」に再構築するという、ユニークな企画に取り組んだこともあります。現地で本物の味を口にしたことのある料理人にしか生み出せない料理なので、挑戦しがいがありました。
ーーー新たな料理に挑まれる中で、変化の兆しのようなものは感じられましたか?
おかげさまで、料理の専門誌などのメディアに多数取り上げていただいたり、料理人の方たちからも注目していただいたりと、認知度は上がりましたが、経営面では苦しい状況に変わりはありませんでした。「今年一年頑張っても先が見えないようなら、店を閉めるしかないな」とスタッフと話をしたぐらいです。しかし、その一週間後に、台湾のイベント会社からコラボレーションのオファーをいただき、今思えば、そこから一気に潮目が変わったように思います。
海外のイベントに参加したのはその時が初めてでしたが、三日間で500名ほどのお客様に来場いただきました。イベント開催に向けて、約二ヶ月前からSNSなどでプレスリリースを配信したことが功を成したのでしょう。イベントを開催するまでの間に、たくさんの台湾人のお客様が当店に足を運んでくださり、イベントも成功させたことで、ようやく「軌道に乗ってきた」という感触を得ました。これまでの冷たい声も少しずつ温かいものに変わってきたように感じましたね。その後、ミシュラン二ツ星という評価にも繋げることができました。
私は周囲の方から順風満帆に思われがちなのですが、実はかなり苦労をしてきたんですよ(笑)。ですがその分、色々なことを全て一人で考えてきた経験は、今の私の大きな糧になっていると思いますね。
ーーー高田様にとってフランス料理とは?
野球選手に憧れる小学生と一緒で、私もフレンチシェフになりたかっただけですから「憧れの原点」でしょうか。結果として今の自分があります。私にとってフレンチは生活の基盤であり、己を表現できる場でもある。でも、正直なところ儲かりはしない職業だと思います(笑)。フレンチはかなり工程の多いジャンルですし、決して楽な職業ではないですからね。好きである気持ちや情熱がない限り、続けることはできません。
ーーー日本でフランス料理をやり続けるうえでの難しさはありますか?
日本は、フレンチなどの「洋食」に対する評価がまだまだ低いと感じています。言い換えるなら、「理解できない部分が多すぎる」というか。ですが、だからこそ「不透明さ」による魅力があるとも思っています。日本で本格的なフランス料理を楽しめるようになって30〜40年が経ちますが、日本の生活や文化に溶け込んでいるかというと、残念ながらまだその段階には至っていない。本場フランスとはかなりのタイムラグがあるように思うのです。であれば、周りの目などは気にせずに、ある意味反骨心を持って、堂々とミシュランの星獲得を目指すというのも、日本のフレンチのシェフが進むべき道だと思います。もちろん、高評価の上に胡座をかいてしまっては本末転倒ですが。
ーーー食べ手の反応や評価を考えながら料理をされる、ということですか?
それは違います。私は古典をベースにしながらも料理には常に進化を求めるタイプなので、自分のクリエイションと他者の好みとは必ずしもイコールではないと思っています。もちろん、独創性や先進性を評価いただいたことで二ツ星という嬉しい結果がもたらされたのだろうと思いますし、「お客様のための料理」を作ることに違いはないのですが、ひとたびキッチンに立てば、私は世間の声におもねることなく「表現」と「評価」は切り離して料理に向き合っています。
ーーー食材へのこだわりはありますか?
こだわりが「あるか/ないか」の二択なら、こだわりはないです。こだわりが強すぎると、そこから抜け出せなくなります。例えば、海外に行けば食材も違う、キッチンも違う。まずはこだわりを捨てないことには何も作れません。仕入れに関しては「人」との結びつきを大事にしています。私は信頼の置ける取引先の方とお付き合いをしていますが、それでも、思い通りの食材が手に入らない日もあります。しかし、料理は食材だけで決まるわけではありません。望んでいた食材がないのなら、ないなりに「じゃあ、どうしようか」と頭を使い、納得のいく料理に仕上げていくことがプロの仕事だと思います。
もちろん、生産者さんもプロです。料理人だけが特別すごいというわけでは決してありません。私たちは素晴らしい食材を使って調理するだけですが、生産者さんが届けてくださる食材の価値を押し上げるのも、私たち料理人の務めだと思います。
ーーー今後の展望を教えてください。
人手不足など飲食業界の諸問題を鑑みながら、今はクオリティの高いケータリングでのビジネス展開について、海外も視野に入れて考えています。レストランを飛び出して、積極的にイベントにも参加していますし、面白いこと、他の人がやっていないことをやり続けたいです。挑戦には常にリスクが付きものですが、リスクをとらない限りリターンもありませんからね。今後また、パンデミックのような世界が一変するような出来事が起こらないとは限りません。将来を見据えて環境を整えていきたいと考えています。
そして、いつかホテルの朝食もプロデュースしてみたいですね。海外に行くと旅の思い出としてホテルの朝食は強く印象に残ります。朝食のレベルによってホテルのランクすら決まるように思えるからです。これは展望というよりも私の夢に近いのですが。
ーーー最後に、高田様にとって「おいしい」とは?
まずは、経験によるところが大きいと思います。初めて食べた料理を、「おいしい」あるいは「おいしくない」と感じるのは、過去の似たような経験に基づく「感想」です。過去の近しい体験の中から「おいしい」の記憶が呼び戻されて、目の前の「おいしい」に繋がっているのだと思います。その記憶というのは、味だけではなく、香りや温度、情景といった取り巻く環境でも変わってきます。鮨屋のカウンターで、所作の美しい職人さんの握った鮨は「おいしい」と感じるはずです。雰囲気だけで「おいしい」と感じるときもあれば、その料理の説明を聞いたことでおいしさが増したり、逆に説明が下手だったり過剰だったりすると、耳障りに思えてまずく感じることもありますよね。
また、子供の頃にはピンとこなかった田舎のおばあちゃんの料理を、10年・20年後に「おいしかったな」と懐かしむことだってあります。逆もまたしかりで、昔は好んで食べていた料理を段々と欲しがらなくなったり、時間軸によっても「おいしい」は変化するということです。このように「おいしい」を多角的に捉えることで、新たな切り口の料理が生まれるかもしれませんね。
料理人は自身の体験や知識を自分のフィルターを通していかにアウトプットできるか、その能力を常に試されていると思っています。そのためには旅に出たり、本を読んだり、様々な料理を食べ歩くといった日々の過ごし方も大事ですし、物の見方を少し変えることで新たな気づきや発見を手にできれば、それも料理に活かせるはずです。私は言葉で伝えるのが苦手なので、料理という最高の表現方法を介して、これからも自分の想いを日々発信し続けていきたいと思っています。
高田氏は、「言葉で表現するのは苦手だから」と何度も口にしていた。確かに、【La Cime】の料理特有の美的感覚と創意工夫は、高田氏の研ぎ澄まされた感性を源泉としている。故に、フレンチという名の「芸術作品」をわざわざ言葉によって形容するのは野暮かもしれない。まずは【La Cime】の料理を「目で、舌で、味わってみる」に尽きる。高田氏の感性に満ちた新たな料理との遭遇に胸を弾ませながら、大坂の地で魅惑のひとときを過ごして欲しい。
取材/AutoReserve Magazine編集部
文/青木玲子
撮影/鈴木雅人
アジアのベストレストラン50において10位にランクインし、シェフズ・チョイス賞も受賞するなど、その名声は世界中に広がっています。厳選された食材を使用した料理は、奄美大島出身のシェフらしいオリジナリティがあり、デザートも絶品です。お店を訪れた方からの評価も高いお店です。