―――【L’Arbre】を開業される前から野菜作りをされていたそうですね。
家庭菜園レベルからスタートして、本格的に野菜の栽培を始めたのは帝国ホテルを辞める3年ほど前からです。農家さんが30平方メートルほどの畑を貸してくださり、野菜を育てて収穫し、店の料理のメイン食材とするイメージはかなり早くから頭の中にしっかりと描かれていました。
今は季節の野菜やハーブ、果実もブルーベリーやラズベリーなど、年間60種類ほどを無農薬無化学肥料で育てています。
―――野菜以外にも使われる食材は東京産にこだわっていらっしゃるとか。
ブランド豚肉「TOKYO X」や山羊肉は地元で手に入りますし、シーズンになれば「秋川渓谷」で鮎が釣れます。また、小笠原諸島では希少な国産のバニラビーンズが収穫されるなど、ご存じない方が多いかもしれませんが、東京は食材の宝庫なんですよ。
ただ、ジビエの猪や鹿だけはお隣の埼玉県から仕入れています。西東京でも獣害被害は問題で、駆除こそされているものの、処理施設はほぼ稼働していないため、食肉として我々の手元になかなか届かないんです。それでもジビエを提供し続けているのは東京産ジビエが注目されて、近い将来、当たり前に流通されるようになればと期待しているからです。
―――東京産の食材が流通していないことに歯がゆさを感じられたと?
東京の食文化は日本全国、世界各国の食材が手に入るという大都市の利便性によって生み出されています。そのため、都心部のレストランでは東京産の食材はあまり使われていません。その現状を僕は料理人になって気付かされ、「東京そのものの個性が見えないな」と違和感のようなものはずっと感じていました。
私は農業の盛んな地域の出身ということもあり、「東京の食材を使う」というコンセプトにたどり着いたのは、私としては当然の流れです。料理を通じて生産者さんを支えるなんておこがましいですが、食材のブランド力が上がることで新たな仕入れ先の開拓に繋がったら嬉しいですし、東京の食材や文化に興味を持ったお客様が生産地に遊びに出かけるなど、食べて終わりではなく店や料理を媒介にして人が動き出せば地域一帯がどんどん活性化していくと思います。
―――幼少期から「食」への探究心に溢れていたのでしょうか?
小学生の頃から料理の手伝いを好んでやる子供でしたね。特に印象に残っているのが餃子作りです。自分が包んだ餃子を家族みんなで頬張る、その時間がとにかく楽しかったんです。しかも、餃子作りは回数を重ねれば重ねるほど確実に上手くなるので、「おいしい」と褒めてもらえた時の達成感に加えて、自分の料理の腕がレベルアップしていく感覚に面白さを感じていました。そして、中学生の頃にはテレビ番組「料理の鉄人」で目にした料理人たちの“カッコイイ”姿が決定打となり、料理の道に進む決心をしました。
実家は電気機器の仕事をしていたため、両親の反応が多少心配ではありましたが、「好きなことをやったら良い」と快く背中を押してもらい、高校卒業後は迷うことなく料理学校に入学しました。洋食・和食・中華の基本を一通り学ぶ中で最終的に洋食を選んだのは、当時のイタリアンブームの影響です。卒業後は学校の先生の推薦もあり、帝国ホテルで働くことになりました。
―――いよいよ、料理人としての修行が始まったわけですね。
入社後の3年間は、1日の仕事の3時間ほどを「洗い」が占めていました。結婚式やパーティーを受け持つ宴会調理部門の、いわゆる「鍋磨き」です。実は今でも感謝しているのが、新人のこの時期に「綺麗に洗う」という料理の基礎を身に付けさせていただいたことです。私たち料理人はお客様の命をお預かりしています。衛生的であること、つまり「綺麗な料理」を提供しなくてはなりません。洗う作業も、料理を作るうえで重要な行程の一つなんです。
もちろん、指示されたことだけやっていては料理人としての成長はありません。「洗い」にしても的確かつ効率的に行い、早く作業を終わらせられたら残りの時間は先輩スタッフについて勉強ができます。また、ホテルの中には様々な部署があり、私は精肉を専門に扱うブッチャーに通い、肉の捌き方を教えていただきました。休憩時間を削るなり、就業時間後も自分の時間の使い方次第でいくらでも学べる環境で働けたのは、本当に恵まれていましたね。
―――フランス料理の世界に入られたきっかけは?
最初に配属された鉄板焼店で2年ほど経ったタイミングで、ホテルのメインダイニングにティエリー・ヴォワザン氏がシェフとして招かれることが発表されました。ヴォワザン氏は、フランスの三ツ星レストラン【Domaine Les Crayères(ドメーヌ・レ・クレイエール)】で料理長を務められた方で、私にとっても憧れの存在でした。彼が就任の挨拶を兼ねて来日した際に鉄板焼店にも足を運んでくれたので、私は思い切って「あなたと仕事がしたい」とフランス語で直談判をしました。その想いが通じて翌年、私は【Les Saisons】に呼ばれることになりました。
当時私は25歳でしたが、即戦力のスタッフが集結した最高峰の現場では一番下っ端でした。それから帝国ホテルを去るまでの17年間、パリの三ツ星レストラン【Le Cinq(ル・サンク)】での研修や、フランス料理アカデミー主宰のコンクールで総合2位を受賞するなど、どっぷりとフレンチの世界で研鑽を積みました。スーシェフとなってからは新メニューを考案してシェフにプレゼンしたり、逆にシェフから「この食材で何か作ってみて」といった提案があったり。試作してはテイスト、そしてアレンジを加えるという工程や、幾度もディスカッションを重ねながら独創的なメニューを誕生させていきました。私のフレンチのキャリアの中で、ティエリー・ヴォワザン氏は正に父親のような存在ですね。
―――鉄板焼店で働かれた経験から【L’Arbre】にはカウンターテーブルを?
お客様から直接リアクションをいただけるという、厨房の奧では味わえない感動があるので取り入れることにしました。当店の料理は素材も調理法もオリジナリティが強く、個性的なメニューが並ぶので、対面ならばシェフの私が説明を添えながらお客様に提供することができます。ただ、情報盛り沢山というのも考えもので、お客様が食べることに集中できなくなってしまいますから。そこはぐっと堪えて50%ぐらいにしておいて、お客様から尋ねられたら全てお答えするようにしています。
―――料理の特徴をもう少し詳しく教えていただけますか?
ベースにあるのは、帝国ホテル時代にヴォワザン氏から学んだクラシカルなフレンチですが、表現の仕方や素材の組み合わせといった点では、全く別の料理になっていると思います。地元の食材と対峙しながら、私はまず「日本で受け継がれてきた文化的な食べ方とは?」を考えます。例えば、フレンチで使うポワローの代用品として日本の葱を、ではなく「日本の葱をどうやっておいしく食べようか」に始まり、フランス料理に発展させていきます。食材をフレッシュなまま使うのか、塩に漬けたり、発酵や乾燥させたりと、フランスにはない日本独自の調理法を使い分けていくと、一つの食材から色々な味や香りが生まれるので、それらを複合的に組み合わせながら一皿のフレンチに仕上げていきます。
―――奥多摩の郷土料理「のしこみうどん」がメニューにありますね。
東京のいわゆる郷土料理のことも、文献を調べたり、農林水産省のホームページを参考にしながら発信し続けようと思っています。「のしこみうどん」については各家庭で味が引き継がれているとも聞きますが、メニューとして提供する飲食店はなく、私も食べたことがありませんでした。この土地の文化を調べれば調べるほど、地元出身の私ですら知らないことだらけです。
絹織物「黒八丈」に使用される絹糸のボタンをユニフォームのアクセントにしたり、あきる野市特産の手漉き和紙「軍道紙」をインテリアに使用していますが、地元のお客様でも初めて目にする方が少なくないようです。 私はこの店を東京のハブにしたいと思い、店名にもその想いを込めました。【L’Arbre】はフランス語で樹木や系譜・軸を意味します。自分の名前に「幹」の字があることや、「小机家住宅」を建造した小机家が山林業で財を成したことなど、木には浅からぬ縁を感じますし、なにより地元の食材や工芸品こそが、この土地にどっしりと根を生やした樹木だと考えています。
樹木に文化という実がなり、お客様が集い、実を食べる。そして、この土地で出会った豊かな文化をそれぞれのご自宅に持ち帰っていただきます。こうして地元の魅力が他の地域にどんどん伝播していくことを願っています。
―――お客様に「おいしい」を伝えるとき、松尾様が大切にしていることを教えてください。
一番はお客様が幸せを感じられること。それはお客様が既に経験したことのある五感(味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚)に触れるということですね。お客様がこれまでに見たことがあるものや食べたことがあるものの中に、「おいしい」があると考えています。お客様が持つ経験に触れることができて初めて、私たちが提供した料理を「おいしい」と感じていただけるのだと思っています。
同時に、郷愁や懐かしさが呼び起こされれば、過去にタイムスリップして当時の楽しかった記憶が甦り、味に膨らみが生まれるはずです。あの時に食べた「おいしい」と今、食している「おいしい」が合体すれば、おいしさは何倍にもなって増幅します。
―――最後に、松尾様にとって「おいしい」とは?
「おいしい」は一人で完結するものではありません。家族や周りの人たちと共有することで「おいしい」は未来へと繋がり、やがて文化として継承されていくものだと思います。この、あきる野の土地で私は料理を通してこれからも日本(東京)の文化や魅力を、一人でも多くのお客様にお伝えしていけるよう頑張っていきたいですね。
一流ホテルでフレンチの真髄に触れたからこそ、本物の「東京フレンチ」の開拓を決意し、その一歩を踏み出した松尾氏。都心から離れた場所に人を呼ぶのは大変と笑うが、既に世界の目は彼の新たな挑戦に注がれている。 日本人の郷愁を誘うフレンチを私たちも心ゆくまで堪能したい。
取材・文 / 中島玲子
L'Arbreは、新たなフレンチレストランとして、松尾直幹シェフが地元・西多摩あきる野市の食材を最大限に活かしたお店。小机家住宅をリノベーションした特別な空間で、シェフの卓越した技術と地元の素晴らしい生産者とのコラボレーションが楽しめる。クラシックフレンチをベースにしつつ、地域の文化と風土を体現した独創的な料理が堪能できる。何度訪れても新たな発見があるレストラン。