ーーー料理人を志したきっかけを教えてください。
両親は共働きだったので、幼少期は祖父母の家によく預けられて過ごしていました。祖父母は畑を耕していて、畑に連れて行かれた時は不要な野菜の葉を包丁で切る遊びを通じて、自然と「料理」に興味を持ちました。祖母と一緒に収穫した野菜を入れたラーメンを作ったり、白玉団子を作る中で感覚的に料理の楽しさを覚えていきました。小学生の頃には、休日の朝に両親に味噌汁やご飯を作るととても喜んでくれて、その笑顔が嬉しくて料理にのめり込むようになりました。それからは母が料理する姿を見て学び、カレーやシチュー・オムレツ・炒飯など次々と新しい料理に挑戦していったのも、この頃のことです。小学校高学年になるとお菓子作りにも興味を広げ、中学生になった頃には放課後に友達に料理を振る舞うことが楽しくてたまりませんでしたね。友達の誕生日にはケーキを作ったり、自分でバレンタインやホワイトデーにはお菓子を作って配ったりもしました。
ですが、高校生の頃まで料理人になるつもりはありませんでした。もともとは体育教師になる夢を持ち、バレーボールに打ち込んでいましたが、怪我をきっかけにその道を断念せざるを得なくなったんです。料理が好きだった私は、調理師学校への進学を決意しました。当時、料理界の「東大」と言われた辻調理師専門学校に入学し、夢中で学びました。今思うと、料理人としての道は幼い頃から導かれていたのかもしれません。
ーーーフランス料理に興味を持たれたのには何かきっかけが?
一番未知の世界だったんです(笑)。日本人ですから和食は身近な存在ですし、中華料理も隣国なので食材も手に入りやすいし作りやすい、しかしフランス料理は食材も手に入らないし、作り方も分からない。フォンドボーが何かも分からないという状況が、逆に私の好奇心を刺激したんだと思います。でも正直なところ、当時はまだ迷いがあったんです。僕はフランス料理の道に真っ直ぐに進んだタイプではありません。祖父母のことが大好きでしたし、お刺身も大好きだったので、まずは魚が捌けるように(お刺身が作れるように)なりたい!との想いも強く、専門学校卒業後はまず東京に移り、和食の世界に入ったんです。そこで料理人としての道が大きく広がりました。
当時の広島で手に入るワインの品質は限られていましたが、東京にはワインショップがたくさんあり、質の高いワインとの出逢いに衝撃を受けたんです。私はワインに夢中になり、当初の目標であった魚も捌けるようになったので、改めてフランス料理に興味を持つようになりました。ワインに合う料理を追求していくうちに、フランス料理を学びたいという気持ちがどんどん強くなっていったんです。
ーーーフランス料理人としての道を歩み始めたわけですね?
それが色々ありまして(笑)。広島に戻ったのですが、当時の広島には個人で営むフランス料理店しかなく、すぐには雇ってもらえなかったんです。ホテルで経験を積んだシェフが営む洋食屋さんで働き始め、休憩中は店内にあるたくさんの有名シェフの本を読みながらフランス料理への憧れを募らせ、従業員が帰った後にソースだけ真似て作ってみたり、全て独学で学んでいきました。
ご縁があったバーのオーナーから、「バー&レストランを開業したい」という旨の話を聞かされ、開業後はシェフとしてフランス料理を作っていたのですが、広島の飲食店特有の課題に直面したんです。当時の広島は、料理のカテゴライズをしないとなかなか集客が厳しく、オーナーはイタリアンの名店【ポンテベッキオ】出身であったりスタッフもイタリアンのシェフだったので、問答無用にイタリアンにシフトチェンジすることになったんです(笑)。イタリアンのシェフに転身したものの、フランス料理への想いは捨てきれず、結婚式場を営む会社のゲストハウスでフランス料理のシェフとして働き始めました。
働きながら独学の研究を引き続き重ねる中で、ソムリエ資格を取得したことを機にワインの買い付けを任されるようになり、フランス・ブルゴーニュのレストランで料理の経験を積むチャンスも得ました。現地での3ヶ月間の修行では、ワイン関係者とも深い繋がりを築きながら、多くの知識と技術を吸収しました。有名店での経験は無いものの、型にハマり過ぎずに自身のスタイルを追求し続けることができたのが、私の料理人としての道のりだったと思います。
ーーー独立に込めた想いやこだわりについてお聞かせいただけますか?
何よりも広島が好きだという気持ちが大きかったからです。小中高と育ったこの街には特別な思い入れがあり、愛着を感じています。東京や大阪で生活してみると、広島が少し元気を失っているように感じ、この街を盛り上げたいと思うようになりました。私にできることは料理なので、料理を通じて広島を元気にしたい、そんな想いで地元での開業を決めました。
当初は広島だけでなく、全国からの食材を取り入れていましたが、コロナ禍が地元食材を見直すターニングポイントとなりました。生産者の元を訪れ、実際に現場を直接見る中で、地元には魅力的な食材が数多くあることに気付きました。例えば鹿のタンや猪のヒレ肉、廃棄される予定の規格外の野菜など、料理にしたり商品化を進める取り組みを始め、地元食材を徹底的に活かすことに決めました。また、私たち料理人は食材がなければ料理は作れませんし、生産者がいなければ成り立たないことを強く感じ、食材を提供してくれる生産者への感謝の気持ちを形にしたいと思うようになりました。ただ食材を購入するだけではなく、リレーションを築き、生産者と共に広島を盛り上げていきたいと考えています。
ーーー中土様の料理の特徴を教えてください。
私の料理は食材ありきで、大切にしていることは「何を食べているか分かる料理」であること。香りを損なわずに形や食感を残したり、極端にアクを抜きすぎたり火を入れすぎたりせず、食材が持つ本来の風味や魅力を引き出すことを意識しています。一つ一つの食材について実験を重ね、どの温度や調理法が最適かを分析しながら、データをメモに取ったり感覚を覚えたりしています。試行錯誤を重ねることで、食材の魅力を最大限に引き出す最適案を模索しています。また、使用させていただく食材には感謝の気持ちを持ち、生産者さんの想いが伝わるように生産者の方々を紹介するなどの取り組みもしています。
ーーー地元食材の特徴や魅力を教えてください。
広島やその周辺の食材というのは、水が綺麗だからか全体的にクリアな感じなんです。地形も関係しているのかもしれませんが、野菜も甘みが強いことが多いです。海も山も近いので、どちらの食材も鮮度抜群の良い状態で手に入ります。例えば、北広島農場さんの苺は、完熟してから収穫するので甘さが全然違います。他の生産者の場合、苺は早めに摘まれて輸送する間に追熟させていることが多いのに対し、北広島農場さんの苺は完熟収穫し、すぐに届けてくださるので最高の状態で食べられる。県外に送るとピークを過ぎてしまうため、広島で食べるのであれば一番おいしい苺なんです。生産現場と距離が近いのも、地方の魅力の一つだと感じています。
他にも広島にはまだまだ知られていない魅力的な食材がたくさんあり、その背景には生産者の想いと取り組みがあります。例えば地方産サーモンは通常、鱒を海に放ち育ててブランド化するそうなのですが、雄の鱒は海水への適応が難しく多くが命を落としてしまうため、商売にするには不向きとされて廃棄され、雌の鱒のみを使用するそうなのです。ですが、広島県大暮養魚場の生産者は雄の鱒を別の生簀に移し、約2〜3年かけて育て、北広島町産ブランドサーモン「芸北サーモン」として新たな価値を見出しました。お客様には、「広島にこんな食材があるなんて知らなかった」とか「初めて食べた味」といったお声をよくいただきます。そういった反応をいただけると本当に嬉しいですね。もっと多くの方に広島を知ってもらって、地元を盛り上げていけたらと思っています。
ーーー今後の展望や挑戦したいことを教えてください。
最終的には広島県北広島町に戻り、オーベルジュを作りたいと考えています。北広島町には、釣り堀や温泉・農場・農園など、興味深い場所がたくさんあります。それらを一つにまとめ、訪れた方が一日中楽しめるような複合的な施設を作りたいと思っています。都市部では難しいことですが、北広島町ならではの可能性を活かしたいと考えています。この夢を実現するにはまだ時間はかかりますが、10年後には形にできればと思っています。
夢の実現には、やはり名前を知られていないと挑戦の機会も巡ってきませんから、まずは料理人としての影響力を高めながら伝える力も培っていきたいと考えています。現在、ミシュラン一ツ星の【Roots Nakanoshima】というプロデュース店を大阪に構えていますが、東京や海外にも挑戦し、知名度をさらに上げていくことが目標です。また、お客様とのご縁を大切にしながら、自分を知ってもらうために積極的に動いています。例えば、イベントに出席して料理人の方と名刺交換をさせていただいたり、他のお店に食べに行くなど。他にも、地方で頑張っている料理人との交流やコラボレーションを通じて、新たなきっかけを作っています。少しずつですが、こうした活動が実を結び始めていると感じています。私は「運動」という言葉が好きなんです。運動とは「運を動かす」こと。運を動かし続けることで、新たなチャンスや可能性が見えてくるんだと信じています。この先も努力を続け、夢に近づいていきたいと思っています。
ーーー最後に、中土様にとって「おいしい」とは?
私にとって「おいしい」とは、「人生を良くする力を持つもの」であると思っています。もちろん料理人として、おいしいと褒めていただくことは嬉しいです。ですが「楽しかった」と言われた方が、もっと心に響くことに気付いたんです。食事というのは健康を支え、心を動かし、幸せな時間を提供するもの。その瞬間が人生を豊かに導くのではないでしょうか。そのためには、味だけでなくもっと広い視点で料理を考えなければなりません。健康を損なうような料理では本末転倒ですから、添加物やトランス脂肪酸も当店では一切使いません。低脂肪・高蛋白質の料理を意識的に取り入れるなど、ただ味だけを追求するのではなく、お客様の健康にも意識を向ける必要があると思っています。また、有名店や繁盛店の多くは、味だけでなく雰囲気づくりが上手です。「現状維持は衰退」ですから、これからもまだ見ぬ広島食材を探し、時には作り、今までに創ったことのない料理に挑戦し続け、お客様の人生を豊かにし、感動を届けられる料理人を目指していきたいです。
フランス料理への情熱を絶やすことなく、地元への深い愛情と生産者との繋がりを大切にすると話す中土氏の姿勢が強く印象に残る。料理を通じて生産者の想いや広島の豊かなテロワールを感じさせる【中土(NAKADO)】は、広島の恵みを存分に感じられる特別な場所であり、広島が誇る名店であることを改めて感じることのできるインタビューとなった。おいしさだけでなく、生産者と中土氏が紡ぐストーリーを通じて、広島の魅力が心に響く感動のひとときを是非味わってみて欲しい。
取材/AutoReserve Magazine編集部
文/フードアナリストあい(棚橋 麻衣子)
撮影/鈴木 雅人
中土は、シェフ・中土征爾が手掛けるフレンチレストランで、洗練された技術と独創的な発想が際立つ。ブルゴーニュのミシュラン星付きレストランでの修業経験を活かし、クラシックな手法にモダンな調理科学を融合させた料理が楽しめる。食材の豊かな風味を最大限に引き出した料理は、食通達を魅了する。軽やかな食後感と繊細な味わいが心に残る、特別なひとときを提供してくれる。