ーーー中国料理の世界を志したきっかけは?
中国料理との最初の出逢いは、幼稚園時代にまで遡ります。我が家では月に何度か外食をする習慣があり、私は幼い頃から様々な料理を口にしていました。中でも一番のお気に入りが四川料理…と言っても私自身は当時のことをまったく覚えていません(笑)。両親から聞いた話では、雲白肉や棒々鶏・麻婆豆腐・担々麺といった辛い料理と、その店の雰囲気に惹かれていたようです。何度もお店に通ううちに「大人になったら料理人になる」と口にするようになっていたとか。
ーーー幼少期から四川料理に魅せられていたのですね。
物心がついてからも料理人への憧れは消えることなく、自分が初めて好きになった料理が中国料理であること、さらに中国料理には「四川料理」というジャンルがあることなど、年齢を重ねながら徐々に理解していきました。そして、高校卒業と同時に東京の調理師専門学校に入学しました。専攻はもちろん中国料理です。実は高校生の頃から「自分が将来働く店」をリサーチしていて、休みのたびに食べ歩きをしていました。まもなく卒業というタイミングで訪れたのが、四川料理の名店【麻布長江】です。学生が一人で食事をしているのが物珍しかったのでしょう、オーナーシェフの長坂松夫氏が私に声を掛けてくださいました。中国料理の勉強をしたいという想いを興奮気味に語る私に、「東京に出てきた時には、また遊びにおいで」と温かい言葉を返してくださいました。
上京して再び長坂シェフの元を訪れて、担々麺を平らげてから、その味に感動した勢いで「アルバイトをさせてください」とお願いすると、「明日から来なさい」とこちらが拍子抜けするくらいあっさりと受け入れてくださいました。4月1日の当時のことは、今でも鮮明に覚えています。専門学校の入学式は4月7日でしたので、学校で料理を学ぶよりも前にアルバイト先が決まりました。
ーーー 圧倒的行動力ですね!そもそも、どのようなお店で働きたいと考えていたのですか?
高校時代はバレーボールに熱中していましたが、三年生最後の大会で早々に敗退し、その時に「強いチーム」は「厳しいチーム」であることを思い知らされたのです。負けが決まった瞬間は悔しくてたまりませんでしたが、その悔しさが今となっては大きな財産になっています。負けた理由をとことん考え抜き気づいたのです。料理の道に進むのなら「一番厳しい店」で学ばなければ意味がない、と。
ーーーリサーチをする中で【麻布長江】に感じた「厳しさ」や魅力は何だったのでしょうか?
私は長坂シェフの佇まいから「厳しさ」を感じとり、器の綺麗さや素材の切り方の美しさなど、料理からも「厳しさ」と丁寧な仕事ぶりが伝わってきました。四川料理の伝統を重んじながらも未来を見据えた料理を作り続けていたことや、店のサイズ感も「修行したい」と強く惹かれた要素でした。あまりに大きな店だと鍋をふる親方になかなか近づくことができませんからね。専門学校に通いながら二年間アルバイトとして働き、卒業後は社員として八年間、トータルで十年間【麻布長江】で勉強させていただきました。
ーーー中国料理の修行をする中で苦労したことは?
苦労を感じたことはありませんでしたが、五年目あたりから「自分は日本人なのに、なぜ中国料理をやっているのか」という葛藤と向き合うことになりました。「料理が好きだから/中国料理が好きだから」、そんな純粋な気持ちでずっと中国料理に取り組んでいましたが、勉強のために中国に行き、現地の料理人と接するうちに、中国料理の「ど真ん中」を歩む彼らを羨ましく思えてきたのです。日本料理を作る日本人、フランス料理を作るフランス人と同じですね。中国の料理人が放つ「王道感」というものに私は圧倒されました。
日本人は日本料理以外にも、各国の料理の世界でそれぞれに技を磨いています。これは世界的に見るとかなり珍しいことです。中国料理を専門とするフランス人は希有だし、日本料理に関心を持つフランス人シェフは多いですが、あくまでも勉強の一貫です。中国国内を覗いてみても、現地の料理人はほぼ中国料理しか作っていません。しかし日本の場合、和食の料理人が最も多いとはいえ、ものすごい数のフレンチのシェフがいて、イタリアンに中国料理、スペイン料理を専門とするシェフもたくさんいます。やはり「食」における日本の多様性は目を見張るものがあります。それ故に、私と同じような葛藤を抱える料理人は少なくないのではないか、と思います。
ーーーキャリアを積む中で、日本人であることが悩みとなったわけですね。
当時の私は、「なぜ日本で中国料理をやっているのか」と自問自答してみても、「好きだから」以外の答えがなかなか見つかりませんでした。料理の世界に入った当初は、まな板の上、鍋の中しか見えていなかった。やがて様々な国の文化に触れ、歴史を紐解いていくことで少しずつ視野が広がっていったんです。中国に渡って修行する道もありましたが、私は日本に留まる決心をしました。なぜなら私はこの国が大好きで、私がやりたいのは「日本の気候風土で育まれる中国料理」だったからです。そして、日本にいてこそ自分の目指す料理の世界が完成することを確信しました。
しかし同時に、私は生まれ育った国の料理について、あまりにも無知である現実にも気づかされました。日本料理を学ぶべく、食べ歩きを始めた中で【龍吟】の山本征治シェフとお話しする機会に恵まれたんです。山本シェフに自分の想いを余すところなくお伝えし、「日本料理を一から勉強させていただけませんか」とお願いしたのが28歳の時です。
ーーー新たに日本料理の修行をする中で、どのような学びがありましたか?
山本シェフの元で母国の文化と料理を学ぶうちに、「和魂漢才」という考えに出逢いました。日本人は中国の伝統や文化を受け入れながら、日本ならではの形に昇華させることで国づくりの糧としてきました。その最たる例が日本語です。文字のなかった日本に漢の国から言葉が伝わり、現在の日本語が形成されていきました。この「和魂漢才」は私にとって大きな指針となり、「中国料理と日本料理の調和」という自分の目指す料理の世界がはっきりと見えてきました。
また、「伝統」とは多くの人に支持されて今日まで残ってきたものです。料理も等しく、どんなにおいしくとも身体に良くないものは淘汰され、今でいう「持続可能でないもの」も消えていくことは歴史が証明しています。伝統に学び、残ってきたものに目を向ける。先人たちの教えに倣い、さらに勉強を続けていけば、日本の「未来」が見えてくるはずです。私にとって、その未来を表現する場所が【茶禅華】なのです。伝統・現在・未来をバランス良く織り交ぜながら、自分にしかできない料理を提供し続けたいと思っています。
ーーー川田様が取り組まれる「和魂漢才」や山本様からの教えについてお話いただけますか?
まず「日本料理とは何か」を一言で表現すると、「日本の豊かさを表現した料理」です。ということは、中国料理も「日本の豊かさを表現する」という思想が根底に流れていれば「和魂漢才」を踏襲することになり、技術はその後でついてきます。「日本の豊かさ」とは、素材です。山本シェフも「素材が活かされた料理こそ豊かさを生む」と仰っていました。
山本シェフからは「この時代にどれだけのものをお客様に届けられるか、その意識を高めなさい」と教えていただき、技術だけでなく、自分にはもっと精神的な部分の鍛錬が必要なのだと背筋を正される思いがしました。
ーーー川田様の素材(食材)に対するこだわりとは?
日本には四季があり、豊かな自然が息づいています。そこには素晴らしい生産者さんや優れた流通技術もあります。その流れを料理人もしっかりと理解すべきだと思っています。素材のポテンシャルはもちろん重要ですが、その素材をどのような状態で調理場まで届けていただくのか、そして素材にどのような処理や調理を施すのか、その過程を疎かにしてはいけません。そして何よりも大事になるのは、お客様にお届けする時の素材の状態です。どんなに素晴らしい素材も、状態が悪ければ価値はないに等しくなってしまう。港に揚がって数日経過し質が落ちてしまった鯛よりも、新鮮な鰯を使って料理したほうがおいしいのです。私はその素材が光り輝く瞬間、つまり「時を捉えた料理」でおもてなしすることを信条としています。
ーーー料理をするうえで心掛けていることは何でしょうか?
当店では「季節感・温度感・素材感」を大切にしています。「季節感」とは旬を捉えること。「温度感」は素材を最適な状態で提供する温度が重要であること。そして「素材感」は光り輝く素材の質感を活かすこと。この三つの要素を、自分が勉強してきた中国料理とどのように調和させるかに注力しています。中国料理の調理法は「四川・上海・広東・北京」以外にもたくさんあります。その中から最良の調理法を選択してお客様にお届けします。「宝の持ち腐れ」という言葉があるように、宝は活かさなければ宝ではなくなります。光り輝く素材(宝)にさらに磨きをかけて、お客様に提供するのが料理人の務めです。もし「和包丁で切って塩と酸橘だけ」がその素材にとってのベストならば、私は迷わずそうするでしょう。
ーーー新たなメニューを生み出す際、インスピレーションとされていることはありますか?
書籍などで知見を広げたり、中国や台湾で現地の料理をいただいたり、素材の産地に足を運び生産者さんとお話しするなど、様々な要素が発想のヒントになります。「風景」に着想を得ることも多いです。例えば、中国の四川省の「九寨溝」という美しい湖の風景が私の頭にずっと残っていました。その風景の記憶を料理で表現したのが、当店の看板メニューでもある雲白肉です。器の翡翠色は湖の色を摸しています。現地で雲白肉の原形といわれる料理をいただいた経験も、創作の発端となっています。
初めて「万里の長城」を見た時、その圧倒的なスケール感は中国料理に通ずるものがあると感じました。数千年もの歴史の積み重ねの中で変貌を遂げてきた中国文化のように、私も壮大でスケールのある料理を生み出していきたいです。その一方で、日本の古都・京都に代表される繊細さや静寂な空気感にも強く心惹かれます。古の僧侶たちも遣隋使や遣唐使として大陸に渡り、中国の雄大な風景から何らかの影響を受けたはずです。そう考えると、色々なものがつながって「今」があるのだと感慨深くもあり、雅な感覚や「わびさび」といった和の精神も料理に取り入れていきたいです。
ーーー他ジャンルの料理からも影響を受けることはありますか?
もちろんです。中国料理は素材に一気に火を入れる調理法が主流ですが、私は素材を光り輝かせるための火入れや温度管理を常に追究し続けています。例えばフランス料理のキュイソンは大変参考になるので、料理にどう活かそうか…と試行錯誤した時、実は中国料理にもフレンチや日本料理のようにやさしく火を入れる調理法があるという再発見につながりました。また、近年は韓国に行く機会が増えています。器のデザインや唐辛子の使い方などのちょっとした違いで、中国料理とはまた異なる食文化が育まれているのがとても興味深いです。
ーーーミシュラン三ツ星など、輝かしい評価をどのように受け止めていますか?
前提としてあるのは「星などの評価が先にあってはならない」ということです。まずは目の前のお客様に喜んでいただくことで、自ずと明るい未来は築かれていくはずです。一番に注力すべきは「今日のお客様」です。【茶禅華】としてどんな料理をお出しし、どんなサービスでおもてなしができるのか。そこに常に意識を集中させています。明るい未来はその次ですね。評価は遅れてやってくるという感覚です。ありがたいことにミシュランの星獲得という嬉しい結果に結び付いてはいますが、良い評価をいただいた後は兜の緒を締め直し、今日のお客様のために一生懸命料理をするだけです。今もこのあとの営業のことで頭がいっぱいです(笑)。
ーーー【茶禅華】で働く料理人に求めることは?
サービスの重要性をしっかりと理解してほしいです。そのため【茶禅華】の料理人は、最初の二〜三年はホールも担当します。私は中国料理で十年、日本料理で五年修行をしましたが、そのうちの半分はサービスを勉強したと言っても過言ではありません。ホールに立つと、店の全てが客席にいるお客様から始まっていることに気づかされます。お客様がいて、料理を運ぶホールスタッフがいて、その先に調理場があるのです。料理人の頭の中には「調理場から料理を出す」というイメージができあがっていますが、本当は矢印が逆なのです。お客様がまずいらっしゃって、料理を運ぶホールスタッフがいて、その先に調理場という順で店は回っています。
熱々の蒸籠の蓋を皿にかぶせてサーブする当店の雲白肉は、私がサービスを任されていた修行時代に思いつきました。調理場で完成させてからお客様にお届けすると、テーブルに運ぶ間に料理の状態はどんどん落ちていきます。最高の状態で提供したいという気づきによって、「テーブルでつくりたてを再現する」という今までにないデザインに辿り着きました。
ーーー料理人としてだけでなく、ホールでの経験と視点から生まれたメニューなのですね!
逆も然りです。ホールスタッフも手の空いた時間は調理場に入り、料理の工程を見学したり、素材に軽く触れるなどしてもらいます。上海蟹のシーズンにはスタッフ総出で殻剥きをするなど、ホールスタッフも調理作業に加わることで、お客様に料理の説明をする際に自然と自分の言葉が出てくるようになります。【茶禅華】で働く全てのスタッフには、目の前のことだけでなく、レストラン全体を感じとる力を養ってもらいたいと考えています。これは料理にもいえることで、【茶禅華】の料理は日本料理と中国料理の両輪で成り立っています。調理場とサービス、そして日本料理と中国料理を調和させることはどちらも容易なことではありませんが、そこに挑戦してこそ、新たな世界が開けるのだろうと考えています。
ーーー川田様ご自身がスタッフから刺激を受ける場面はありますか?
日常茶飯事です。若い感性と私の考えを調和させながら、一緒に新しい料理を創っています。中堅以上の料理人には常にお題をいくつか与えているので、毎日すごい数の試作を重ねています。調理スタッフは、中国料理で修行してきた者が約半数。残りはフレンチ・イタリアン・スペイン料理と多ジャンルの料理人が占めているので、個々の技術を中国料理に落とし込みながら、私も純粋に料理を楽しんでいます。昨年はスペイン料理出身のスタッフと上海蟹のパエリアに挑戦しました。上海蟹のシーズンが終了したことで完成には至らなかったのですが、いずれは隠れメニューとしてお客様にご提供できるかもしれません。
フレンチ出身の料理人が開発した上海蟹のカレーは、実際に隠れメニューとしてお客様に披露しましたよ。開発に携わることで、彼はその料理の責任者になります。料理長になったと言ってもいい。私が考案した料理だけ作っていては受け身になりがちですが、「自分の料理」となると絶対にクオリティは落とせないし、本人のモチベーションも違ってくるはずです。
ーーー未来を担う若い世代の料理人に伝えたいことは?
自分が好きになった料理の道を信じて、日々進んでいってほしいです。そして、ないものを嘆くのではなく、目の前にあるものに集中してほしいですね。すると感謝の気持ちが生まれ、その感謝が前に進む時のエネルギーになるはずです。私は「もし中国人だったら…」という自分にないものにしがみつくのをやめました。「日本人」という最強の武器に集中したことで、【茶禅華】誕生につながったのです。目の前にあるものに意識を向けて、そのありがたみを噛みしめながら、良いものを創り上げていってほしいです。
私は歴史が好きなのですが、親の世代、さらには祖父母の世代の人たちは、先の戦争や戦後の混乱期の時代を生き抜き、とてつもない苦労を経験されています。一方、今を生きる私たちはたくさんの物に囲まれて、逆に「豊かさ」に対し鈍感になっているのではないかと感じるのです。商売をやっていると、物価高や人員不足など様々な壁にぶつかることもあるでしょう。しかし、もっと頭を使い工夫を凝らすことで、必ず道は開けると思っています。身の回りにある「豊かさ」に目を向けていれば、困難な状況を打破する施策が必ず見つかるはずです。
ーーー今後の展望を教えていただけますか?
今からの未来という視点で展望を掲げるとすれば、次の三つです。先程もお伝えしましたが、一番に考えるのは「今日」のことです。お店のオープンに向けて集中力を高め、目の前のお客様に喜んでいただくこと。二つ目に注力しているのは店舗の移転です。調理場が手狭になったため、近くに移転を考えています。三つ目は現在15名ほどいる料理人をしっかりと育成すること。皆を良い未来に導いてあげたいですね。
この三つの展望に真摯に挑み続けていれば、また新たな道が開け、料理人として豊かな人生を送れるのではないでしょうか。
ーーー最後に、川田様にとって「おいしい」とは?
料理を食べていただいた方に「この世に生まれてきてよかった」と思っていただく、その時間を提供する一つの方法論でしょうか。幸せを感じた時に発せられる「おいしい」は心を豊かにしてくれますし、おいしい料理は身体の滋養にもなります。「おいしい」は明日への活力です。「口福」という言葉があるように、料理を通じて一人一人の幸せが紡がれていくはずです。
川田氏にとって中国料理とは何かを尋ねると、「究極の遊びです!」との笑顔の返答が印象に残る。その目の輝きは、中国料理に惹かれた川田少年の頃から色褪せていないのだろう。修業の場に厳しさを求めてきた川田氏だが、【茶禅華】にあるのは決して厳しさだけではない。スタッフとともに創り上げる「穏やかさ」が、【茶禅華】の料理をよりおいしくしているのだろう。「厳しさ」と「穏やかさ」。ここにも、川田氏が繰り返し口にしていた「調和」が息づいている。世界に誇る「日本の中国料理」の名店は、今後どのような物語を我々に見せてくれるのだろうか。
取材/AutoReserve Magazine編集部
文/青木玲子
撮影/安井智洋
Chef Kawada, who studied Chinese cuisine at Azabu Changjiang and Japanese cuisine at Ryugin, is the chef at Chazenka. Located in a quiet residential area in Minami-Azabu, the restaurant was renovated from a house that used to be an official residence of an embassy, and is spacious and chic in its interior design. The restaurant has been awarded two Michelin stars since its opening year, and has earned a solid reputation. There is no doubt that this restaurant will become one of Tokyo's leading Chinese restaurants in the future.