ーーー料理人を志したきっかけは?
中学受験に失敗したことをきっかけに、もう勉強はしたくない、その代わり料理人になると、自分の中で覚悟を決めました。もともと料理には興味があり、母親の影響も大きかったように思いますね。
日本料理を選んだ理由は、純粋に私が日本人だからです。
当時はイタリア料理も流行っていて、格好いいなと思っていましたが、日本人として日本料理を極めてみたいという気持ちの方が強かったんです。
日本料理で日本一になれたら、それは世界で一番だなと思ったんです。例えば、日本国内でイタリア料理の一番になったとしても、本場イタリアでも一番かどうかはわかりませんよね。
もちろん、日本料理そのものが好きだったという理由もあります。
ーーー修業時代のお話を伺えますか?
最初に修業した福岡のお店は、本当に厳しい環境でした。当時は拘束時間が16〜20時間当たり前で、休みも年間11日ほど。毎日、「今日は何を怒られるんだろう」と思いながら仕事へ向かうような状況で、今では考えられないような時代でしたね。
ただ、20代という一番大切な時期に、とにかく量をこなす経験をさせていただけたことは、本当に大きかったと思います。30代になると、求められるのは量ではなく質です。でも、その質も、土台となる経験があったからこそ身につけられたものだと感じています。
ーーー厳しい環境の中で、自分を支えていたものはありましたか?
新たな環境に入ると、年下の先輩について仕事をすることもありました。それでも、これまでに積み重ねてきた経験が、自分の自信でもあり自負でもあったので、どんな新しい環境でも、その土台の上にさらに経験を積み重ねていけばいいと思えました。
今でも、自分が少し気を抜いていると感じると、「志賀島の親方に怒られるぞ」と思うことがあります。どこかで見られているような感覚があるんです。人はどうしても楽な方へ流れてしまいやすいですが、そこで手を抜けば、その結果が自分自身に返ってきます。だからこそ、「こんな仕事をしていたら親方に怒られる」と、自分で自分を律する習慣が身につきました。今の自分があるのは、あの頃に親方がつくってくださった土台があってこそだと思っています。
福岡を離れる時、親方から「この土地で魚の扱いは覚えたんだから、料理は都会で覚えてこい」と送り出していただきました。その言葉どおり、その後はロサンゼルスや【日本料理 かんだ】で、料理人としてさらに経験を積むことができました。
ーーーロサンゼルスでの修業時代について聞かせてください。
当時は福岡を離れるつもりもなかったんです。そんな中、「料理の鉄人」という番組に出演されていた森本正治さんの料理に大きな衝撃を受けました。アメリカ・ニューヨークの【NOBU】で料理長を務めていた頃の料理がとても前衛的で、「こんな料理の世界を知りたい」と思ったんです。
調べてみると、ロサンゼルスに【NOBU】の本店である【Matsuhisa】があることを知りました。せっかく行くなら本店で学びたいと思い、ロサンゼルスへ渡ることを決めました。
ーーー文化の違いなど難しさを感じることはありましたか?
実際に働き始めてみると、私にとっては意外なくらい楽だと感じました。【Matsuhisa】は、当時のアメリカの日本料理界でも最も厳しいと言われるようなお店で、日本人の料理人も多く在籍していました。それでも、福岡での修業を経験していた私にとっては、それほど苦ではありませんでした。
寿司店でもあったので、日本料理を学ぶうえで寿司をしっかり身につけたいという思いもありました。世界から見れば、寿司も日本料理の大切な一つですから。ただ、日本人として日本で料理人をやっているのに、「寿司はロサンゼルスで覚えました」というのは、なんだか変な気がしていました(笑)。寿司といえば江戸前寿司というイメージがあったので、帰国後は東京でもっと本格的に学ぼうと考えるようになりました。
海外へ行って一番良かったことは、日本を外側から見る機会を持てたことです。日本にいるだけでは気づかなかった課題や、日本の素晴らしさを客観的に感じることができたのは、とても大きな経験でした。
ーーー帰国後【日本料理 かんだ】でのお話を聞かせてください。
【日本料理 かんだ】へ修業入りしたのは、28〜29歳の頃でした。それまでに約10年の料理人経験があったので、最初の2〜3年は基礎をしっかり学び直し、その後は二番手を任せていただくようになりました。そこから約8年間、責任ある立場で店舗運営にも深く携わらせていただき、本当に多くのことを学びました。
経営者としても料理人としても、今の自分を支えている土台が形成されたのは、最初に福岡で出会った親方のもとでの経験だと感じています。そして、【日本料理 かんだ】で過ごした11年間は、自分をさらに大きく育ててくれた時間でした。料理だけでなく、お店全体をどう動かしていくのかという視点まで学ばせていただき、今につながる貴重な経験になっています。
ーーー厳しい修業時代から、今でも大切にされていることやお考えはありますか?
今振り返っても、20代から30代前半にかけて、とにかく量をこなせたことは本当にありがたかったと思っています。もちろん、体や心を壊すような働き方を勧めたいわけではありません。ただ、今の時代は、私が経験したような環境をそのまま若い人たちに経験させることはできませんし、それが正しいとも思っていません。だからこそ、自分から動く姿勢が大切になると思うんです。
従業員にも、「今は考えるよりも、とにかく手を動かして経験を積もう」と伝えています。厳しいことを伝える場面もありますが、それは自分が言わなければ、その人のためにならないと思うからです。
ーーー「量があってこそ質が生まれる」という考えについて、もう少し聞かせてください。
まずは量を積み重ねる。そうすると、できることが増え、仕事のスピードも上がる。そして、「これなら誰にも負けない」という自信が生まれます。自信が余裕につながり、行動が変わり、最終的には仕事の質も高めてくれるんじゃないかと思っています。
最近は「質が大事」と言われることが多いですが、私は、量を経験しなければ質は生まれないと考えています。数多く経験するからこそ、「こちらの方が良い」「このやり方の方がおいしくなる」という違いが見えてくる。だから、まずは質を語る前に量をこなすことが大切なんです。
若いうちは、体を壊さないことを前提に、とにかく経験を積む。その先に質がついてくるのだと思います。私にできるのは、「やってみなさい」と背中を押すことくらいです。
ーーー開業時のエピソードを聞かせてください。
39歳で独立しました。もともと40歳までに自分の店を持つという目標がありました。35歳の時に一度、大将へ独立の相談をしたことがあるんです。その時、「自分も40歳まで続けたから、君も40歳までやってみたらどうか」と声をかけていただきました。
その言葉を受けて改めて考えた時、【日本料理 かんだ】の料理は作れても、「自分の料理」が本当に作れるのかという不安がありました。そのまま独立すると、おそらく【日本料理 かんだ】の料理に頼ってしまう気がしたんです。だからこそ、その後の数年間は、お店では【日本料理 かんだ】の料理をつくりながら、一方で自分ならどんな料理を表現したいのかを考え続ける時間でもありました。
自分一人で店を背負う覚悟も必要でしたし、資金面の準備もありました。開業当初は三人でのスタートでした。自分自身が現場で動き続けられる体力も必要ですし、経営には当然リスクも伴います。年齢や体力、資金面など、さまざまな条件を考えた結果の独立タイミングでした。
ーーー特に大変だったことはありますか?
一番大変だったのは、お客様に来ていただくことでした。修業時代は、毎日満席になることが当たり前の環境で働いていたので、お客様は自然と来てくださるものだと、どこかで思い込んでいたんです。
実際に自分で店を持つと、それは当たり前ではありませんでした。電話がまったく鳴らない日もあり、「電話線が切れているんじゃないか」と思うくらい、お客様がいらっしゃらない日もありました。
私自身、インターネットでの情報発信はあまり得意ではなく、今どきの集客の仕方もよく分からないままのスタートでしたが、少しずつ口コミでお客様に足を運んでいただけるようになりました。そして、開業した年にミシュラン一つ星をいただくことができました。
あの頃を振り返ると、料理をつくることと、お客様に来ていただくことはまったく別のことなんだと、身をもって学んだ時期だったと思います。
ーーー料理や食材についてのこだわりはありますか?
料理を組み立てるうえで、私が大切にしているのは「温度」「香り」「食後感」の三つです。料理は、最も良い状態で召し上がっていただいて初めて完成するものだと思っています。
修業時代、【日本料理 かんだ】の大将から「温度はごちそうなんだ」と教わりました。寒い日に温かい料理をいただくこと、暑い日に冷たい料理を味わうこと。その時間そのものがお客様にとってのごちそうになるという考え方です。そして、温度が整っているからこそ、食材が持つ香りも最も美しく感じられます。私自身も、その教えは今も変わらず大切にしています。
ーーー「食後感」についてはどのようなことを意識されていますか?
コース料理では最後まで心地よく召し上がっていただきたいので、お腹は満たされても重たさは残さない。翌朝には自然とまた食事を楽しみたくなるような、そんな「食後感」を目指しています。
そのためには、油分や塩分、糖分の使い方もとても重要です。一皿だけではなく、コース全体を通して心地よく感じていただけるよう、バランスを考えながら料理を組み立てています。
ーーー食材選びで大切にされていることは?
長くお付き合いしている仲買さんや生産者の方々との信頼関係の中で仕入れています。福岡、京都、豊洲など、それぞれの土地で信頼できる方から、その時一番良いものをいただいています。
お客様からそれだけのご期待をいただいている以上、自分も良い食材を選び、その価値をきちんと料理としてお返ししたいと思っています。そして要望を伝えたうえで、「今日は良いものがない」と言われたら深追いはしません。希望する状態の食材がなければ無理に代用品を使うことはせず、質には徹底的にこだわっています。食材そのものに関しては、毎日向き合っている仕入れ先の方々の方が専門家ですから。その目利きを信頼することも大切だと思っています。
ーーー食材に対して、料理人としてどこまで手を加えるかについてはどのようにお考えですか?
ただシンプルであればいいというわけでもなく、料理は食材を「お手伝いする」ものだと思っています。素材が持っている力を引き出し、おいしく、食べやすくする。そのために必要な仕事をするのが料理人の役割です。
食材が素晴らしいものであればあるほど、「どこまで手を加えるべきなのか」と悩むことも少なくありません。手を入れなさすぎてもいけないし、加えすぎても素材の魅力は失われてしまう。その境界を見極めることが大切だと思っています。
例えば、一本のきゅうりでも、そのまま包丁で切るより、しっかり冷やして手で折ってお出しした方が、おいしく感じられることがあります。私はこれも料理だと考えていて、こういう食べ方がおいしいんだという思想や、料理人の感覚そのものが表れる仕事なのだと思います。
目の前の食材を見て、「どこまで料理人が関わるべきか」を考える。その判断には経験が必要ですし、その経験の積み重ねが、その人ならではの料理につながっていくのだと思います。
ーーー今後の展望があれば教えてください。
まずは、この店をもっと良くしていきたいという思いが一番にあります。ありがたいことにミシュラン二つ星という評価をいただくことができたので、いつか三つ星をいただけるような店を目指していきたいですね。
料理についても、今あるものを少しずつブラッシュアップしながら、より良いものへと積み重ねていきたいと思っています。スタッフが成長し、良いタイミングやご縁があれば、将来的には海外への挑戦もできたら面白いかもしれません。ただ、それもまずは今のお店をしっかりと育てていくことが前提です。
今48歳なので、あと10年ほど、60歳くらいまでは料理人として第一線で走り続けたいと思っています。もちろん、自分一人でできることには限界があります。だからこそ、従業員一人ひとりの成長を見守りながら、時代や状況に合わせて少しずつ前へ進んでいきたいですね。
私は現状維持ではなく、「もう一枚積み重ねる」という感覚を大切にしています。紙を一枚ずつ重ねていけば、気づかないうちに以前より高い場所へたどり着いている。その積み重ねが、お店の成長にもつながると考えています。
従業員にも、いずれそういう話をしていきたいですね。今はまだ、考えることよりも手を動かして経験を積む時期だと思っています。まずは土台をつくる。その先に、それぞれの考え方や料理が育っていけばいいと思っています。
ーーー最後に、中島様にとっておいしいとは?
「美しい味」です。
「うまい」と「おいしい」は似ているようで、少し違うものだと思っています。その違いがとても大事だと思っていて、それが何なのかをずっと探し続けています。
「うまい」は味そのものへの評価という感じがしていて、「おいしい」は、それだけではなく、香りや空間、私たちのサービス、料理の見せ方まで含めて、お客様の心に届いたときに生まれるものではないかなと思っています。
食べて「うまい」と言っていただけるのももちろん嬉しいです。でも、「あぁ、おいしい」と余韻に浸っていただける瞬間をつくることができたら、料理人冥利に尽きますね。
中島功太郎氏の言葉を通して印象的だったのは、「積み重ね」という考え方だった。料理人を志し、福岡での厳しい修業、海外での経験、帰国後過ごした11年間、そして独立後の挑戦まで、一つひとつの経験を土台として積み重ねながら、現在の【日本料理 久丹】を築いてきた。「量があってこそ質が生まれる」「現状維持ではなく、もう一枚積み重ねる」という言葉からは、料理だけでなく、人を育てる姿勢や店づくりにも通じる価値観が伝わってくる。料理、空間、サービス、そのすべてが重なり合い、お客様の心に残る一食を届けたい。その心遣いはこれからも【日本料理 久丹】で静かに積み重ねられていくだろう。
取材・文/AutoReserve Magazine編集部
撮影/馬場 昇一
Wir arbeiten mit sorgfältig aus dem ganzen Land ausgewählten saisonalen Zutaten und drücken die Jahreszeiten mit der für die japanische Küche typischen feinen Technik und Sensibilität aus. Wir legen Wert darauf, nicht nur die Speisen, sondern auch den Raum und die Gastfreundschaft als ein einheitliches kulinarisches Erlebnis zu gestalten, und bieten Gänge an, bei denen man bei jedem Besuch die neuen Reize der jeweiligen Saison entdecken kann.