ーーー開業までの経緯を教えてください。
正男氏:栃木県足利市内の高校を卒業して、18歳で御茶ノ水にある【山の上ホテル】に入社。和食部門【和食とてんぷら山の上】で34年、2002年に独立して【山の上ホテル】の江戸前天ぷらを世襲しています。最初はシェフになりたかったんですよ。実家の近所に老舗ホテルのチーフをしている人がいましてね。給料も良さそうだし、修行で海外に行った話なんかを聞いたら憧れますでしょう。「よし、シェフになるぞ!」 と意気込んで試験を受けたのですが、採用されなかったんですよ。そこで縁あって門をたたいたのが【山の上ホテル】。わからないものですよね。
ーーー【山の上ホテル】で学んだことは?
正男氏:筋金入りという言葉があるけれど、【山の上ホテル】の創業者の吉田社長は、筋金が1000本くらい入っているような方でした。サラリーマンを辞めてホテルを創業した方で、料理人ではないけれど料理への情熱は物すごかった。お客様に満足して帰っていただくために、鮮度を重視した徹底した素材選びと妥協を許さない味の追求、皿1枚の選び方から接遇まで、料理人に全てを委ねるのではなくどんどん意見するんですよ。本当にたくさんのことを学びました。
ーーー山の上スタイルから継承する【てんぷら深町】の特徴は?
正男氏: 江戸前天ぷらに欠かせないのが胡麻油。天ぷらは素材となる天種に衣をつけて油で揚げて、塩や天つゆで食すという極めてシンプルな料理。素材の数や工程が他の料理と比べると圧倒的に少ない分、ごまかしが効かないんですよね。だからこそ、何を使うか・どんな工程を踏むかが非常に大事になってきます。少しくらい原価が上がっても鮮度が良くて上質のものを、という社長のポリシーは今もずっと残っています。
【山の上ホテル】では、太白胡麻油に低温で焙煎した太香胡麻油淡を3対1でブレンドしていましたが、当店では太白胡麻油1種のみ。ホテルから街場での店構えに変わったので女性のお客様も多くなるだろうと、なるべく香りが立ちすぎないように変えてみたら良かったんです。天つゆに使う醤油は、島根県松江市美保関町の太鼓醤油店のものをホテルの時から長く使っています。素材の仕入れは、週3回は豊洲市場へ。息子たちを信頼して任せる部分もありますが、良いものを目指したいと突き詰めると、自然と自分の目で見て業者から生の声を聞きたいってなるものですよ。
―――【てんぷら深町】の名物はありますか?
正男氏:料理はおまかせコースのみ。その時々の良いものを厳選して、ランチは車海老2本、魚3種、野菜5種、生雲丹など全12品。ディナーは車海老や魚、野菜、かき揚げなど全15品です。希望があればお好みの注文もお受けします。車海老や生雲丹を紫蘇で巻いた天ぷら、低温で1時間以上かけて揚げるさつま芋などを愉しみに来られるお客様もいらっしゃいます。これからの季節は「くちこ」の天ぷらも旨味が増しますね。
ーーー独立後の【てんぷら深町】では、料理人である二人の息子さんも携わっておられるのですか?
正男氏:そうですね。長男と次男でランチとディナーを、一週間ごとに交代制でやらせています。私も店に立ちますが、横にいる感じで基本的には彼らに任せています。食材の切り方から、油の温度、揚げるタイミングとかね、ちょっとした違いや流れが生まれますから。全てを通しでやる良さがあると思うので、三人がカウンタ―に並んで誰がどこを分担するというのはしていません。
―――息子さんお二人が料理人とは頼もしいですね。
純央氏:【てんぷら深町】の開業時から、兄は父と一緒にやっています。父が【山の上ホテル】を辞める時、兄は都内の懐石料理店で修業中で、私はまだ高校生でした。34年勤めた山の上ホテルを退職する最後の日、母と姉と兄と私の四人で食べに行ったんです。何人もの常連のお客様が来てくださっていて、父はカウンターで最後まで揚げていました。胸に迫るものがありましたね。将来について具体的に考えていなかったのですが、自分も父や兄の後を追って料理人になろうと。その後、私も【山の上ホテル】で修行した後に【てんぷら深町】で共にやっています。
ーーー大将であるお父様から知識や技術の継承はどのようにされていますか?
純央氏:父から「ここはこうしろ」とか具体的に言われたことはないです。もちろん質問があれば聞くこともありますが、ほとんど見て学んでいく形です。父の天ぷらは、太い筋の通った天ぷら。最初はやはり王道だから真似していくんですよ。お客様から認められたいですし、父と同じような天ぷらを揚げて「父親の味に似てきたな」と言われたい想いがありました。ですが、50年以上料理人として生き、経験値や技術、情熱、全てが詰まった天ぷらです。簡単には真似できません(笑)。
もちろん高みを目指すのですが、ある時から急に諦めるんですよね。
どれだけやっても自分は父にはなれないということに気が付くんです。親子でもあり、同じ店でやっていると、天ぷらも似てくるかと思ったら全然違うんですよ。
作法や温度設定、細かいところの感覚がちょっとずつ違うのでしょうね。天ぷらはその人の空気感や人間味みたいなものがすごく出ます。経験と共にそういうことが分かってきて、ふと自分自身を振り返り悩んだ時「自分のスタイルを探していく」という形に変わってきました。これは自分自身で気が付いたというより、お客様から教わりましたね。父は天ぷらを揚げている間はあまり話をしません。天ぷらは一瞬一瞬が勝負ですから。おいしい天ぷらを食べてもらいたい一心でずっとやってきた姿を見てきましたので、そういう集中力を大切にしながら自分の道を追求していきたいですね。
ーーーお客様はどういった方がいらっしゃいますか?
正男氏:この商売を56年やってきましたが、お客様は時代の流れで変化しますね。昔は接待で来られるお客様、年齢層は今より高かったかもしれません。お茶の水や京橋界隈には、製薬会社や病院、大企業の本社がたくさんあるので医療関係者などの接待が多かったです。バブルがはじけて、さらに製薬業界として接待を禁止していくようになった10年前あたりから、海外のお客様が少しずつ増えました。いまや訪日客は年間3000万人を超えているとか。この界隈は東京駅も銀座も近いから本当に増えましたよ。今はランチとディナー、外国人のお客様は多い時で約7割ほどいらっしゃいます。日本人のお客様は3割ほどです。
日本人のお客様は【山の上ホテル】の時から長く通ってくださっている常連のお客様、ご新規では天ぷらがお好きな方、若いお客様で天ぷら専門店にまだ行ったことのない方はネットやSNSを見て興味を持ち、ご来店される方が増えました。30代後半から40代くらいのお客様は、会話をすると若くして事業をされている方もいて、時代を感じますよね。20代から上は90代の方まで、幅広い層の方にご来店いただいています。
ーーーインバウンドのお客様はどのような反応ですか?
純央氏:本当に食文化の違う方々が来ますので、みんながみんな天ぷらを「おいしい!」って思ってくれるわけではないんです。海外のお客様にとっては、日本食としての天ぷらの認知度は高いですが、海外に天ぷらを専門にする料理店は少ないですし、天ぷらを食べ慣れてないんですよね。だからこそ、天ぷらを食べ慣れていない方が天ぷらを食べてどんなリアクションをするだろうか、最後までちゃんと食べていただけるものをお出しするとなると新鮮な油を使い、食材に合わせて適温で揚げて、しっかりと油の切れた状態でお出しするという基本に立ち返るんです。それをお客様が「おいしい!」と言ってくださることで、これまでやってきたことは間違ってないんだなという確信が持てるんです。海外のお客様に気付かせていただくことは多いですね。
ーーーこれから挑戦したいこと、展望はありますか?
正男氏:天ぷらのスタイルも変わってきましたよ。嗜好が変わっていくんですね。昔は車海老の天ぷらを出すと、揚げ加減によっては「生だよ」と言われたけれど、最近は火が入りすぎない状態を好む方が増えました。また、昔は「白く揚げるよりもしっかりキツネ色に揚げるんだぞ」と言われてきましたが、江戸の伝統だからといって天ぷらを旧態依然でやっていくわけにはいかないと思うんです。決して伝統が古いわけではなくて、時代は変わるんですよ。ファッションも変わるし、食べ物も変わる。そこに生きている人たち、お客様も作る人も変わる。これからも、どんどん変わっていくのでしょうね。材料だって昔と同じものはだんだん手に入らなくなってきましたし。お客様の思考や生活と共に変わっていくんじゃないでしょうか。たまに常連のお客様とそんな話をしますよ。
純央氏:そうですね。当店の天ぷらは王道な感じですが、そこをさらに進化させたいなとは思っています。新しい素材というのは天ぷらではそんなにないですが、天ぷらのシステムの中で新しいものを作っていく。例えば、かき揚げなど「この食材とこの食材を組み合わせたらどうなるだろう? 」という提案です。日本にはまだまだおいしい食材がたくさんありますから。天ぷらとしての王道の部分、いつまでも変わらない良さを残しつつ、そこに彩りを加えられるような面白さを追求しながら進化していきたいですね。
―――最後に、お二人にとって「おいしい」とは?
純央氏:私の考える「おいしい」は、お客様の印象や記憶にしっかり残るものでしょうか。「また食べたい」と思ってくれる、というのはそういうことですよね。お客様に感動や驚きを与えられるような料理を出していかないと、やっぱり飽きられちゃいますからね。
正男氏: そうですね。私も「おいしい」とは、また食べたくなるものだと思います。「おいしい」という感覚は昔から同じだと思いますが、時代によっておいしいという嗜好は変わってきていると思いますよ。フレンチ、イタリアン、日本料理にしろ、どんどん多国籍料理になってきていますよね。寿司、天ぷらはちょっとまだ多国籍料理というには遅れているだろうけれど。その良し悪しは置いといて、お客様は「何だこれ?」 という新しいものを求めていますから。天ぷらが多国籍料理の流れに乗るかは分かりませんが、新しいものを取り入れながら進化していく。その場所で、その料理が食べたいと思ってもらえるものを、私たち料理人はこれからも作っていくのでしょう。
天ぷらの起源は諸説あるが、庶民のソウルフードとして広く発展した江戸時代を経て、現代では世界の共通語になった「TEMPURA」。変わりゆく時代と共に、天ぷらの王道である江戸前天ぷらの食文化を継承する深町親子の職人魂の宿る美しい所作や一品を愉しみたい。
取材・文 / 柳屋 有里
撮影 / 中岡 あずさ
Tempura Fukamachi in Kyobashi is a tempura specialty restaurant that continues to hone its skills every day while cherishing the tradition of Edo-mae tempura. We carefully deep-fry seasonal ingredients delivered from Toyosu Market every morning in the finest white sesame oil and serve them with our homemade tempura sauce. The technique that our chef, Masao Fukamachi, has cultivated over the years brings out the best in each ingredient, allowing you to enjoy a light yet profound flavor. Please enjoy the blessings of the season and the essence of tempura in a relaxed atmosphere with a hinoki cypress counter.