ーーー日本料理の未来について積極的に発信されていますね。どのような想いがあるのですか?
現在の飲食業界は、日本料理(寿司・天ぷら・そば・うどん・和菓子・鰻・焼鳥を含む)を仕事とする人が極端に少ないというのが現実です。一番の原因は調理師学校の現状にあります。大手調理師学校をはじめ、北海道から沖縄まで全ての調理師学校が、入学するとコックコートを渡し、西洋料理の素晴らしさを教えることからはじめます。よって、全体の8割から9割の生徒はフランス料理やイタリア料理の西洋料理を専攻し、日本料理を希望する生徒たちは1割から2割に満たないのです。もちろん、フレンチやイタリアンを学ぶことが悪いことだとは思いませんが、比率がこれだけ崩れているということは、日本料理業界の根幹が失われようとしているのです。そもそも海外の料理を学ぶ前に、日本人として自国の食文化を学ぶことは当たり前であり、日本料理を学ぶ学生がこんなに少なくなっている現状は国として考えなければいけない大きな問題だと思います。
日本料理をやる人口が少なくなることによって、日本の伝統産業が消えてなくなろうとしています。よって、私は8割ほどまで日本料理を学ぶ生徒を戻したいと考えています。日本料理を学ぶ人の割合が上がれば、日本料理の店が増え、料理のレベルも上がっていきます。それによって、器を作る陶芸家・包丁を作る鍛冶屋・箸を作る職人・日本酒の蔵元・着物の仕立て屋・暖簾の染色職人…そうした日本の伝統工芸に携わる全ての人たちが潤います。このまま何もしなければ、日本料理だけでなく日本の伝統産業全体が衰退してしまう。もうすでに遅いのですが、最後の望みをかけて、今動かなければいけない。
ーーー日本料理の現状を変えるために、奥田様はどのような活動をされているのでしょうか?
やれることは全部やろうと思っています。まず私は10年以上前、パリとニューヨークに本物の日本料理を伝えるために、日本料理店を出店しました。日本人が一番憧れる花の都パリと、世界一の経済都市ニューヨークに出店することによって、本格的な日本料理を海外に広めることはもとより、どれだけ日本料理が世界に通用するか、日本人に示したかったのです。海外にはたくさんの日本料理店がありますが、外国人向けに変えられたものがほとんどです。商売的には問題はないのですが、日本と同じレベルのものを伝えなければ日本料理の本質が伝わることにはならないと思いました。また、日本人に対しても、日本料理と日本の食文化の魅力や素晴らしさに気付いてほしいと思いました。
そして次に「調理師学校の意識改革」です。日本の調理師学校はこの50年近く、西洋料理を教えることが主体となっています。50年前の日本では、日常の食事のほとんどが日本料理だけで、わざわざ調理師学校に行って日本料理を学ぶということは感覚的になく、他国の料理を時間とお金をかけて学ぶことが調理師学校の存在価値でした。しかし、調理師学校のビジネスが、何百校と西洋料理を教えることが主流となった今は、日本料理も含め全ての「食」に関わる陶芸・塗り・暖簾の染付・箸や和包丁・着物などの伝統産業までもがなくなろうとしています。
現在における調理師学校とは、日本料理や日本の食文化の歴史や価値観をきちんと教えるべき場所であってほしいと私は強く思っております。そんな中、10年ほど前に、偶然にも「日本料理と寿司だけに特化した調理師学校を開校したい」という水野学園さんから依頼を受けて、それ以来私は教育顧問として授業のカリキュラムを始め、生徒の教育育成に携わっております。
そして三つ目に「日常の和食化」を推進しております。朝はパンとコーヒー、学校給食では洋食と中華が主流で、家に帰ると夕食はまたハンバーグやグラタン・パスタを食べている一日の食生活に、多大なる違和感を覚えます。こちらも10年ほど前より【和食給食応援団】という団体に携わり、学校給食の和食化の活動に参加しております。学校給食で米が出るのは週に2回から3回で、その時のおかずも西洋料理や中華料理が多いのが現状です。これでは、日本の子供たちに日本の食文化はまったくもって伝わりません。両親も共働きになり、子供たちも塾や習い事が多い中、手っ取り早く空腹を満たすだけの食事になりがちな日常は、人々の心も体も豊かになることはないでしょう。せめて学校給食だけは和食のみにし、教育の一つに取り入れ、先生から生徒に、親から子供に、日本食の素晴らしさを伝える場であっていただきたいと思っております。
最後に、日本料理と日本の食文化をより発展させるために、「出版活動」を始めました。2024年12月24日に、【和の美 食の美 温故知新】という本を出版いたしました。現在の日本の食に関わる月刊誌や専門誌は、1990年頃からほとんどがフランス料理・イタリア料理・西洋菓子・ワインなどの西洋の食文化を伝え続けるものになっています。また、テレビの「食」に関わる番組も西洋料理ばかりを取り上げているというのが現状で、これを35年間やり続けています。よって、日本料理とそれに関する伝統産業は、何度も言うように衰退の道をたどり続けています。私は10年以上前より、各出版社にもう少し日本のものを取り上げるべきだと訴えてきましたが、現状はあまり変わらなかったため、自分で出版業をやることを決意しました。私の書籍は、日本料理(寿司・天ぷら・そば・うどん・和菓子・鰻・焼鳥を含む)と、日本酒・焼酎・日本茶・陶芸・塗り・地域の伝統産業と生産者だけを取り扱う情報誌です。本来、日本の食の情報誌はこうあるべきだと思うのですが、「ほとんど」と言っていいほどありません。私の拙い資金で始めた出版活動ですので、クラウドファンディングも行い、たくさんの方々からご支援も受けました。今後は年に2回の発行を予定しており、日本の食に携わる人々の素晴らしさを伝えていきます。
時代はスマートフォンが主流になりましたが、まだまだメディアの力は大きいと思っております。雑誌・書籍・テレビ等があまりにも偏った情報ばかりを流し続けると、日本料理と日本の食文化が近いうちになくなってしまいます。早急にメディアを操る日本人のそもそもの考え方を変えさせなければいけないと強く思っています。
ーーー奥田様が料理人の道を選ばれたのはどうしてですか?
実力だけで勝負ができる世界に魅力を感じたからです。私は「ものづくり」が苦手でした。図工も技術もダメ、特に美術の授業の「絵」が一番苦手で、隣の女の子に絵を見られるのが嫌で嫌で、苦痛で仕方ありませんでした。小学生の時の自由研究では、牛乳パックで船を作ると3秒で沈没し、中学校の技術の授業では作った本棚が本を置いた瞬間に崩れる始末。「ものづくり」に対して自信を持つことができず、コンプレックスでした。
小学校/中学校は野球に没頭し、常にレギュラー選手として活躍し、高校に入学したら甲子園に行くのが目標でした。父親と共に練習に明け暮れる毎日でしたが、練習をやりすぎたため、小学4年生の時にはすでに肘が痛く、中学3年生になると肘も肩もボロボロでした。高校野球は諦めざるを得なくなり、将来の夢は小学校の先生になることを目指し、高校は進学校に進みました。勉強はある程度できたつもりでいたので、大学を出て教員免許を取り、小学校の先生になれると思っていました。しかし、高校に入学してすぐに授業についていけなくなり、できたつもりの数学も英語も全くわからなくなり、一学期の終わりには大学に行けないと悟りました。
16歳で就職先を決めなければならず、何を仕事にするべきなのか、真剣に考えました。そんな中、地元の居酒屋でアルバイトをしたり、長期休みの時は宮城県塩釜市場で鮪の仲卸業をやっている親戚の仕事を手伝っているうちに、包丁を持って鰹を下ろしたり、キャベツの千切りをする板前さんや鮪を下ろすおじさんの姿に憧れました。「学歴がなくても、包丁一本で勝負できる世界があるんだ」とこの時、知りました。
ーーー学歴以外のもので勝負する道を選ばれたのですね。
大人になった時に学歴でのし上がった人、家柄や持って生まれた身体能力に恵まれ、成功できた人たちと対等に話ができるようになりたかったからです。なぜなら私は勉強がわからなくなっただけで、人として劣っていることは何一つないと思っていました。そして料理の世界は、1回でできなければ10回、10回でできなければ100回、100回でできなければ1000回と「努力をすれば必ず実る」という、父親から野球を通して教わった教訓を信じていました。そして、自分が一番苦手だった「ものづくり」を仕事とし、自分のコンプレックスを克服したかったのです。
ーーー苦手を克服すべく料理人の道へ進み、どのように技術を磨いてこられたのですか?
とにかくできるまでやり抜くと覚悟を決めました。最初は本当に何もできませんでした。包丁なんてまともに握ったこともなかったので、指を切るのは日常茶飯事、絆創膏がない日はありませんでした。手はいつも傷だらけで、人差し指などは18針も縫いました。それでも辞めようとは思いませんでした。私にはもう、この道しかなかったのです。 少しずつできることが増えて、茶碗蒸しを初めてちゃんと作れた時は本当に嬉しくて、「茶碗蒸しが作れた!」と思わず母親に電話をしました(笑)。天ぷらが揚げられるようになった時は最高の喜びでした。きっと器用な料理人ならばあまり感じない日常の喜びが、私には毎日大きな喜びとなり、苦手を克服し、やりがいのある仕事に変わっていきました。
ーーー料理人として歩まれてきて、今どんなことを感じていますか?
私は現在55歳ですが、50歳になった時にこれまでの定番にしていた料理を全て捨てて、新しい料理を作り出そうと決めました。以前から料理をやっている中で、一番良い時期は50代の10年間ではないかと思っていました。40代は体力はあるのですが経験値が10年足らず、40代までの経験値を持って50代で全てをぶつける、この10年が私の料理人人生で一番輝かしい時だと思っています。5年ほど過ぎましたが、やっぱりそうだなと実感しております。60代以降はなってみないとわかりません。体力、気力も含め予測もつきません。
ーーー具体的にどのような挑戦を?
私の店では、毎月料理を変える月替わりの献立をやっているのですが、例えば4月の料理であれば、昨年作った4月の料理は出さない。一昨年作った4月の料理も出さない。というように毎月変えるのと同時に、毎年変えるということをしております。月の献立が10品から11品、これが1年ですと120〜130品、10年続くと1200〜1300品の新しい料理を生み出すことを目指しています。もちろん、違う料理を生み出すだけがいいことだとは思いませんが、今残っている伝統的な日本料理は、こういった新しい発想の中から生まれてきたのではないでしょうか。100%全てを変えることは不可能かもしれませんが、50代の10年間で1000品以上の新しい料理を生み出すということは、私自身の経験値を上げることにもなり、また料理を見つめ直す良い機会だと思っております。
ーーーすごくストイックなお考えですね。新しい料理を作るのは大変なことでは?
すごく大変です。毎日毎日、来月の料理のことばかり考えています。想像力豊かで急にひらめくような天才型のタイプであれば、少しは楽だと思いますが、毎日毎日考えに考えて絞り出すようなタイプの私には結構苦しい日々が続きます。ただ、料理は苦しみや悲しみから生まれると、喉が詰まるほど苦しい料理になってしまうので、最後は楽しさや豊かさから生み出さなければなりません。この心理状態に持っていくのも結構大変です。
ーーーそれだけの料理を生み出すのに、着想はどこから得ているのですか?
あらゆるところからです。ほとんどは目を閉じて頭の中で料理を描きます。ただこれだけでは偏ったものになってしまうので、忘れているものもないか確認するために、30年以上前の本から全て見直すこともあります。今の時代ではスマートフォンなどにもたくさんの料理の情報はありますが、あまり見ることはありません。人の真似をしていても、私の人生の中では全く意味がないからです。自分で考えた自分の料理をお客様に出さなければ、伝わらないものだと思います。
また、料理は味だけでなく、器も含めて完成するものです。以前は当店の名前の由来にもなっている唐津焼の名匠、西岡小十氏の器をよく使っていましたが、最近はあえて若手の現代作家さんの器もよく使っています。日本料理界の中には古い器が良いと好んで使う方や、亡くなった有名作家などの器を使う方も多いのですが、現代を生きる若手作家さんの作品を使わなければ、陶芸界の未来はなくなると思っております。お茶を習う人口も少なくなり、家にお客様を呼ぶ時代でもなくなり、ましてや家庭の日常も和食を作らなくなった今、現代作家の作品は日本料理店でしか活躍する場がなくなったと言ってもいいでしょう。そんな中、生活のために誰もが使いやすい個性のない器を作っていても陶芸界の発展はありません。だから私は現代作家さんたちに、これまでにない新しい器を作ってほしいと頼んでいます。そんな個性的で見たこともない力強い器に料理を盛ることはものすごく難しいのですが、新しい料理を生み出すために、とてもいい刺激をいただいております。
こうして、料理も器もこの時代にしか生み出せない新しいものを目指して進むことが、今を生きる料理人と陶芸家には必要なことではないでしょうか。自分たちが生きていたことを、100年後、200年後の日本料理に携わる人たちに示すためにも、新しい何かを作り続けていこうと思っております。
ーーー最後に、奥田様にとって「おいしい」とは何でしょう。
「おいしい」とは、一言で表現できるものではないと思います。例えば、鮪の中トロを一切れや、大きな甘鯛や赤むつなどの塩焼きを食べた時のおいしさは、ほとんどが食材のエネルギーから来るものです。また、すき焼きを食べて「おいしい」とか、引き立ての一番だしを飲んだ時のおいしさも「おいしい」の種類が全く違います。お母さんが愛情を込めて作ったお弁当も、丁寧に炊いた里芋や筍もおいしいのです。結局料理は、食材や調理法、料理を作る人の想いや食べる人の感じ方によって、大きく変わるものだと思います。私は毎日「おいしい」を探して料理を作っているような気がします。
ーーー「おいしい」を生み出すために大切なことは何だと思われますか。
やはりどれだけの想いで、どれだけの時間をかけて料理を考えたかではないでしょうか。私は毎年過去の料理を捨てて新しい料理を考えているというお話をしましたが、単に新しければ良いということではありません。料理はアイディアだけで作るものではなく、「これは本当においしいのか」と自分に問い続ける必要があります。その月の献立を考える時、新たな10品を考えて決定することはすぐにできるのですが、それが本当に最高のものなのかどうかは、もっとたくさんの選択肢と向き合わなければ分かりません。私は100の選択肢の中から、10を選びたいと思っています。楽をしようと思えばいくらでもできるのですが、それでは「本当においしいもの」にはたどり着けません。
お客様には、私が料理にかけた想いと時間の分だけしか、伝わらないような気がします。何が一番おいしいのかは、37年間料理をやっていますが、いまだにわかりません。また、料理には完璧もありません。もっともっとよくできたのではないかと、日々考えます。毎日、答えのないものを探し続けるのが、料理の世界だと思います。そんな料理の世界を愛し、「本当においしい料理はなんだろう」と死ぬまで探し求めるのが私の人生のような気がします。
料理の世界に「完璧」はない。奥田氏はそう言い切る。過去を捨て、問い続け、考え抜く。その営みの先にあるのは、本当においしいものは何か?」という終わりなき探求だ。自身の技を磨くだけではなく、日本料理を守り、その価値を次世代につなぐために、奥田氏は闘い続けている。彼の料理には、料理人としての問いと覚悟が刻まれている。【銀座 小十】で、その答えを感じとってほしい。
取材・編集協力/荒川 ゆうこ
編集/AutoReserve Magazine編集部
撮影/眞田 厚司
Ginza Kojyu has been a leader in the Japanese food industry in Japan. The use of dishes and the arrangement of dishes, which have never been seen in other restaurants, make it possible to enjoy the food visually. Only one omakase course is offered for both lunch and dinner.