ーーー料理人を志したきっかけを教えてください。
僕は外食が多い家庭で育ったので、小さい頃から自然と「料理人」の仕事に興味を持つようになりました。当時は「料理天国」というテレビ番組も好きでよく見ていたり、母親と一緒に餃子作りや、正月には臼と杵を使って餅をついて雑煮を作ったりと、料理を楽しんでいました。料理上手な母親の影響もあって、自然と「料理は楽しいな」と思うようになったんです。「料理天国」は和洋中の料理人が登場するのですが、和食や中華の料理人は割烹着姿で登場していて、僕には祖母を思い出す感覚だったんです(笑)。そんな中、コック帽を被って登場する洋食のシェフの姿は、幼い僕にはものすごくカッコよく見えたのでしょうね。当時は漠然とですが海外への憧れもあって、洋食(特にフランス料理)への憧れが強くなりました。
中学を卒業する頃には、料理人になりたいという気持ちがはっきりしてきて、高校進学のときには調理科のある高校に行きたいと父親に相談しました。父は僕が家業の土木建設業を継ぐと思い込んでいたので、突然料理人になりたいと話を切り出したときは本当に驚いていましたね。ですが、どうしても料理の道に進みたかったので、説得して決めました。僕の料理人としての第一歩です。
ーーー開業までのエピソードを教えてください。
高校に進学すると同時に、地元のフランス料理店でアルバイトを始めました。最初の一年は、じゃがいもの皮むきや洗い物など、基礎的な作業に専念していましたが、二年目になると付け合わせの調理など、徐々に専門的な作業を任されるようになりました。学校の授業よりも実践的な経験を積むことができ、少しずつ上達していく自分を実感する期間でした。結果的に充実感がモチベーションとなり、学校の出席日数が足りなくなるほどアルバイトにのめり込むようになりましたが(笑)。
高校卒業後は当時のイタリアンブームの影響を受け、地元のイタリア料理店で働き始めました。しかし、地方のイタリア料理店はパスタやピザに特化したもので、本格的なイタリアンとは違うことに気づき、再びフランス料理の道に戻ることを決意します。東京のレストランに就職し、その頃はお金に限りがある中、食べ歩きもしながらフランス料理を学び、料理への理解をさらに深めていきました。
ーーー独立してレストランを経営するという道はどのようなものでしたか?
25歳で地元に戻った時、以前勤めていたイタリア料理店が閉店するとの知らせを聞き、思わず口から出てしまったんです、「僕が貰います!」と(笑)。決して自信があったわけではないですが、とにかく自分で動いてみたかったんです。そして、同年にキッシュやトリッパの煮込みなど、ビストロ料理を提供する店を開業しました。ですが、当時の山形はフランス料理がまだ馴染みのない存在だったため、開業後は相当苦労することになりました。特に山形という地域性もあって、フランス料理の受け入れが難しかったようで、最初の店は三年間営業を続けましたが、思うような成功を収めることができず閉店を余儀なくされました。再起をかけて山形市から天童市へ移転し、様々な知恵を絞り、お客様に受け入れていただける店づくりをした結果、少しずつ状況が改善されていきました。僕が料理を作り、弟はホールに出てもらい、弟と二人三脚で頑張った結果、お客様にも恵まれて店を軌道に乗せることができました。当時は、50種類ほどの黒板メニューを全て僕一人で作っていたんです(笑)。次の店は14年ほど続けました。
その頃、僕は40歳。料理に対する考え方や食事の食べ方が少しずつ変わってきたんです。「同じものをたくさん食べたい」から、「良いものを少しずつ食べたい」へシフトチェンジしました。また、当時の山形にはガストロノミーがなかったので、ならば僕がやろう!となり、再度移転を決めて現在に至ります。今は料理人として自分の信念を貫いたスタイルで、店を運営しています。
ーーー料理人として人生のターニングポイントはありましたか?
大きな転機となったのがコロナ禍です。僕は、料理の価格を一気に倍にするという大胆な決断をしました。コロナ禍でお客様の来店が減少する中でも、来ていただける方々には当店での時間を120%楽しんでもらえるよう、おもてなしの質をさらに高めました。また、地元の生産者から直接仕入れを行うことで、生産者を支援する取り組みを進めました。この活動は、地域全体の食材の価値を再認識させる契機にもなりました。料理価格を上げると食材を高品質なものにすると思われがちですが、僕は料理人とは「加工業」だと思っているんです。自分の技術をもって、どんな食材も「おいしく」してこそ真の料理人だと思うので、どんな食材も平等に扱います。それは今でも変わっていません。
さらに、テイクアウトや地方発送に力を入れ、新しいビジネスモデルに挑戦しました。こうした様々な取り組みが評価され、ジャパンタイムズ「ディスティネーションレストラン」に選ばれるなど、国内外で注目を集めるようになりました。
ーーー地産地消へのこだわりを教えてください。
山形には魅力ある食材が数多くあるのですが、実は山形県民ですら知らない食材もたくさんあるんです。その原因には、山形の外食単価が低いことや、高品質な食材は都内や大都市に流れてしまっていることもあると思っています。この土地だからこそ食べられる食材もたくさんあります。地元の人々や県外から訪れるお客様に、山形食材の魅力をもっと知ってもらいたい/伝えたいという想いから、当店では山形食材に焦点を当てています。
ーーー生産者さんとの繋がりも大切にされているそうですね。
僕は生産者と直接関わることで信頼関係を築き、「生産者の顔が分かる食材」を使用しています。畑に足を運び、生産者と対話しながら食材の特徴や背景を学ぶことは、料理への深い理解に繋がっています。生産者のストーリーを共有することにも注力しており、「この人のこれだから使いたい」と思える食材を選ぶことが重要だと考えています。また、生産者同士や他の料理人にもその魅力を共有することで、地域全体の農業や生産基盤を支える取り組みを行っています。さらに、県外のシェフが訪れる際には、積極的に地元の生産者を紹介し、彼らの食材がさらに広く使われることで、良い循環が生まれるよう働きかけています。生産者の方々がいなければ僕たち料理人は成り立たないので、信頼関係を大切にしていきたいと思っています。
ーーー料理のスタイルやこだわりを教えてください。
シンプルで誰にでも分かりやすい美味しさを追求しています。初めてフランス料理を食べる人にも楽しんでもらえるよう、親しみやすい味と食材の魅力がしっかりと伝わる料理を目指しています。フランス料理の伝統的な技術を基盤として、地元の文化や食材を組み合わせた僕なりのオリジナリティーも取り入れるようにしています。また、ジビエや鯉といった一般的にネガティブな印象を持たれることが多い食材も、調理技術で既存のイメージを一新させています。ジビエは捕獲する際の処理や銃弾を当てる位置まで細かく配慮したハンターから直接仕入れ、適切な処理と調理を徹底することで、食材の本当の美味しさを引き出すことに注力しています。山形の食文化の一つでもある鯉は、泥臭さや骨が多いといったネガティブなイメージを払拭し、「これが本当に鯉?」と驚かれることもありますよ。
ーーーSNSにも力を入れていらっしゃるそうですね?
Instagramを活用して、料理やイベント情報を発信しています。最初は自身や家族の記録用として始めたSNSですが、現在では、山形の魅力を全国や海外に向けて広めるためのツールとして活用しています。観光振興を目的とし、当店だけでなく地元の素晴らしい飲食店を紹介することにも力を入れています。地元経済の活性化にも意識を向けており、山形を訪れる観光客が地元で食事を楽しみ、お土産を購入することで地域に貢献できる仕組み作りを目指しています。外国人観光客もターゲットに含め、Instagramや口コミの力を活用して、多くの人々に山形の魅力を伝えていきたいです。
ーーー様々なシェフとのコラボレーションについてお話を伺えますか?
シェフ同士のコラボレーションは、僕にとってとても大切な活動の一つです。最初は、【モノリス】の石井シェフからお声掛けいただいたことがきっかけでした。一緒にイベントをやらせていただいたことで、「自分の料理で大丈夫なんだ」という自信にも繋がり、次の挑戦への原動力になりました。当初は、地元のお客様に都内の一流フレンチを体験してもらうことを目的としていましたが、現在では、中華や和食などジャンルを超えたシェフとのコラボレーションにも取り組んでいます。それぞれのジャンルの調理技術や視点から多くを学ぶ機会を得ましたし、都内や大阪でのイベントでは、山形の食材を活用しその魅力を発信しています。コラボを通じて、他のシェフが山形の生産者から食材を直接仕入れるようになるなど、地域経済にも良い影響を与えています。こうした活動を通じて、料理人としての繋がりを深めるとともに、地域の発展に貢献できていると感じています。
ーーー今後の展望や挑戦したいことを教えてください。
将来的には、山形でオーベルジュ風の施設を立ち上げたいと考えています。広々とした空間でお客様に特別な体験を提供しつつ、息子にバトンを渡す準備も進めていきたいですね。僕の理想は、宇都宮にある【オトワレストラン】のような家族経営のスタイルです。息子がその後を継いで店をさらに発展させてくれたら最高だなと思っています。新しい店舗の場所についてはまだ具体的には決まっていませんが、街中にする可能性もありますし、自然豊かな山の中にするのもいいなと思っています。僕自身が田舎育ちなので、自然を活かした環境の方がしっくりくる感じもありますね。これからも地元の魅力を発信し続けながら、山形の文化や食材を、全国そして世界に広めていきたいと思います。地域を活性化させるための新しいアイディアや企画にもどんどん挑戦していくつもりです。
ーーー最後に、村山様にとって「おいしい」とは?
僕にとって「おいしい」とは、ただお腹を満たすためのものではなく、「心を満たす食事」です。料理を通じて、お客様に元気や活力を与えられたらと思っています。たとえば、「明日からまた頑張ろう」と思えるような体験を提供したい。それが、僕が料理人として一番大切にしている使命でもあります。「心を満たす料理」とは、地元食材とフランス料理の技術を組み合わせて、その土地や地元食材の背景をお客様に伝えるような料理のことです。食材の魅力を最大限に活かしながら、山形の食材や生産者のストーリーを、料理を通じて感じていただけるように工夫しています。語弊を恐れずに言うと、「僕たち料理人はただ餌を作っているのではなく、心を満たす料理を作っているんだ」ということを常に心に留めながら、これからも真摯に料理と向き合っていきますよ。
若き日の夢を叶え、料理人として挫折を乗り越えてきた村山氏は、様々な取り組みに力を入れ、名実共に山形が誇る名店のシェフとして山形の魅力を発信する立場となった。日々様々な挑戦を続け、ゲストだけでなく生産者にまで想いを巡らせる村山氏は、料理人として、人として、情熱に溢れ、その魅力は料理からも感じ取ることができる。ただ味わうだけでなく、心に響く料理を目指し、地元の食材の魅力や生産者のストーリーを通じて、山形の文化や自然と触れ合える特別なひとときを提供する【Pas Mal】で、「食」がもたらす心の喜びを感じてみてほしい。
取材・文/フードアナリストあい(棚橋 麻衣子)
編集/AutoReserve Magazine編集部
撮影/鈴木 雅人
Le restaurant Pa-Maru est un endroit où l'on peut déguster une cuisine française préparée avec des ingrédients soigneusement sélectionnés de Yamagata. Les compétences et la créativité du chef mettent en valeur les produits locaux, les élevant à des plats exquis. Avec un service agréable et un accueil chaleureux, il promet une expérience culinaire spéciale aux visiteurs. C'est un restaurant où l'on peut savourer les véritables saveurs de la France tout en ressentant la riche terre de Yamagata, un endroit à visiter au moins une fois.