ーーーお鮨を作るうえで最も大切にしていらっしゃることは何ですか?
ネタとシャリのバランスですね。鮨はネタとシャリだけで仕上げるシンプルな料理です。そのシンプルさが難しいのですが。シャリは鮨の「輪郭」を作る部分で、シャリがしっかりしていないと全体の味がぼやけてしまうんですよ。だからこそ、シャリにはかなりこだわっています。使うお米は信頼している米屋さんと相談して、季節やその時々の食材に合う品種を選んでもらっています。酢飯に使う酢は、二種類をネタに応じて使い分けているんです。冬はしっかりした味のネタが多いので、赤酢を使うことが多くなります。一方で、夏のネタは淡白で軽い味わいのものが多いので、米酢を使ってさっぱりと仕上げるものが増えますね。
ーーーネタの仕込みにはどんなこだわりをお持ちでしょうか?
ネタ選びはもちろん大切ですが、その日の状態に合わせた仕込みが一番ですね。例えば小肌、季節によって名前が変わるこの魚は、個体差も大きいので仕込みは毎回微妙に違ってきます。お酢や塩で締めるタイミングも、感覚的に「今日は少し時間を置いた方がいい」というように、小肌と会話しながらでないと良い仕込みはできませんね。ネタの悪い部分は取り除き、良い部分を最大限に引き出す。それが仕込みの基本です。寝かせや仕込みの加減で本来の旨みを最大限に引き出したネタを、シャリと調和させてお出しします。
ーーー16歳で鮨の世界に入られたとのことですが、そのきっかけは?
高校を中退して他に行くところがなかったんです。自分で決めて学校を辞めたものの、そこから何をすればいいのか分からずにいました。何か夢があったわけでもないし、他に選択肢もありません。そんなときに、知り合いの紹介で寿司屋に入ることになったんです。最初はもう何が何だか分かりませんでしたね。職人の世界は厳しいと聞いてはいたけれど、想像以上の世界でした。朝早くから仕込みが始まり、終電を逃すのは当たり前。掃除・片付け・買い出し…もちろん包丁なんて握らせてもらえないですし、叱られることも日常茶飯事です。ひたすら言われたことをこなす毎日で、何度も辞めようと思いました。
ーーー そんな中で、転機となった出来事はありましたか?
当時の私は、「ここを辞めたら、もう行く場所がない」という気持ちで踏ん張ってはいたけれど、今思えば、仕事に対する意欲がなかったんです。ですが、そんな気持ちが変わったのは、初めてお客様の前(板場)に立ったときでした。初めて握らせてもらえた時に、ずっと店に通ってくれていた常連のお客様が、「やっとここに入ったんだね、頑張ったね」と声を掛けてくださいました。努力が報われた想いで本当に嬉しかったですし、「自分はこの仕事をずっと続けていくんだろうな」と思ったんです。寿司職人を一生の仕事としていくことへの気持ちが決まったというか。それまでに何年も続けているんだから、覚悟を決めるまでに時間がかかりすぎているかもしれませんね(笑)。ですが、この出来事が私にとって仕事に対する向き合い方が大きく変わるきっかけとなりました。
たとえば、仕込みは寿司屋にとってすべてです。ネタの鮮度・締め方・漬け方…それらをどうするかで、寿司の味はまるっきり変わります。それまでは言われたことをこなすような向き合い方だったけれど、ただ教えられた通りにやっていたら、それ以上のものは生まれない。もっとおいしくできないかと一生懸命考えて、試行錯誤を重ねるようになりました。強くこだわって仕込んだネタを出すと、不思議なことにお客様の反応も変わります。目の前で「おいしい」と言ってもらえるのは、やっぱり何よりも嬉しいですからね。
ーーー 自らの役割を「指揮者」と表現されていらっしゃいます。高橋様にとって“寿司職人”とはどのような仕事なのでしょう。
寿司職人は、「寿司を握るのが仕事」と思っている方がほとんどだと思います。もちろん、それは間違いではありませんが、寿司職人はカウンターという名の舞台の指揮者であるべきだと思っています。当店はカウンター8席のみで、客席と板場に境目はありません。要は、店内はすべてが一つの空間としてつながっているわけです。お客様の目の前で手を動かし、寿司を握る様子や雰囲気まですべてが伝わります。カウンターにお客様が座った瞬間から営業が終わるまでの時間は、「本番中」という意識が常にあります。寿司を握りながら空間全体を把握して、その場にいるお客様全員が心地良く楽しめるように、整えるのも寿司職人にとって大切な役割だと思っています。
ーーー具体的に空間づくりで意識されていることはどんなことですか。
お客様の様子を見て、会話の間合いを考えて鮨を出すテンポを調整します。初めて来た方には緊張を解くように軽く話しかけたり、常連の方には余計な説明は省いていつものリズムで料理を出していくなどもそうです。お客様同士が打ち解けていたら少し賑やかに、逆に静かに味わいたい方がいれば必要以上に話しかけないなどの振る舞いも考えていますね。何度も通われているお客様の中には、「高橋さんが少し低めのトーンで話し始めると、店の空気がピンと引き締まる」と言う方もいます。無意識にやっていることもありますが、「今は少し緊張感を持たせるべきだな」とか「ここは和やかにした方がいいな」と考えながら、あえて声のトーンを変えることもあります。これは、オーケストラの強弱をコントロールするのと近い感覚なのでしょうね。
カウンターに座るのは一組のお客様とは限りません。それぞれが個々の時間を楽しんでいることもあれば、店全体がひとつの空気に包まれることもある。どんな雰囲気を作るかはその日の流れ次第。時には私自身がいじられ役になって、店全体が笑いに包まれることもあります。そこにいる全員が楽しい時間を過ごせるなら、それもまた職人の役目です。
また、おいしい寿司と一緒にお酒を楽しむのも寿司屋の醍醐味ですが、中にはつい飲みすぎてしまうお客様もいます。そんな時は、お酒のペースに配慮するのも大事な仕事のひとつだと捉えています。飲みすぎてしまったら、寿司を味わう時間ではなくなってしまいます。「今日はこれで最後にしましょうか」と声をかけることもあります。決して無理に飲ませるのではなく、「この場を最高の状態で終えてもらうこと」まで考えてこそ、良い職人だと思っています。お客様にとって寿司屋での食事は、ただおいしい寿司を食べる時間ではなく、「その空間ごと味わう時間」であってほしいのです。カウンターに立って、空間すべてを楽しんでいただくのが私の仕事ですね。
ーーー独立されて12年。お店を持ってから、ご自身のお鮨に変化はありましたか。
店を始めた頃は色々なことを試しましたね。修業時代に学んだことをベースにしながらも、自分なりの工夫を加えたり、新しい技法を取り入れたり。独立したからこそ、「自分の寿司とは何か?」を考える時間が増えて新しいことをしたい想いも強かったです。ですが、経験を重ねて今は改めて思うんです、寿司の本質はシンプルであることだと。 色々な挑戦をしてきたけれど、今は江戸前鮨の技術を研ぎ澄ませ、いかに素材の良さを引き出すかに意識を向けています。
ーーー 江戸前鮨の本質というと?
江戸前の仕事というのは、単に「おいしくする」ために手を加えるわけではないんです。余計なものを削ぎ落とし、素材本来の良さを最大限に引き出すことが目的なんですよね。魚を締める・寝かせる・塩や酢で整える。そのすべてが「余分なものを抜いて、本当においしい部分だけを引き出す」ための技術なんです。それは、寿司の仕事だけじゃなく、店の在り方にも通じていると思います。たとえば店内の装飾はあえて無くし、シンプルなカウンターにしているのは、お客様が純粋に寿司を楽しめるようにするための工夫ですね。
ーーーお客様との関係も変わってきたのではないでしょうか。
日頃から常連のお客様に支えていただいていますが、お客様との繋がりを一番強く感じたのはコロナ禍ですね。思うように出歩けず、飲食業界も営業が思うようにできないところが多い中でしたが、「もし空いているなら貸し切るよ」「10年分、前払いしておこうか?」なんて連絡をくださるお客様がいました。この店がなくなったら困るからと。冗談かもと思いましたが、皆さん本気でした。お気持ちが本当に嬉しかったですね。お客様に支えられていることを痛感しましたし、自分ももっとお客様に応えたいと思いましたね。当店はお客様に成長させていただいているんです。
ーーー独立を経てお弟子さんも育てる立場として、大切にされていることは何でしょう。
弟子たちには、「自分を売れる職人になれ」と伝えています。基本的には私自身が教わったことをベースにしています。私の修業時代はとにかく厳しくて、技術を教わる前に「職人としての姿勢」を叩き込まれました。最初の数年は仕込みや掃除の雑用ばかりで、包丁を握るなんて夢のまた夢です。でも、今になって思うと、そこにすべてが詰まっていました。親方に言われたのは、「良い寿司を握るには、まず良い環境を作ること、掃除ができない人間に良い仕事はできない」ということ。どれだけ技術があっても、仕事に向かう姿勢ができていなければ一流にはなれないんです。それは私も同意です。
ただ、昔ながらのやり方がすべてではなく、私なりに変えて伝えていることもあります。たとえば、私の師匠は「見て学べ」というタイプでした。ですが、それでは理解するのに時間がかかりすぎることもある。私の店では、「見て学べ」だけでなく、「言葉で伝える」ことも大事にしています。小肌の締め方ひとつとっても、「なぜこの塩加減とこの時間なのか」ということを理屈までしっかり教える。そうすることによって、弟子たちもただ手を動かすだけでなく、「どうすればもっと良くなるか」を考えられるようになるんです。
また、カウンターに立つ仕事だからこそ、寿司職人には「人としての魅力」が必要だと思っています。人としての魅力がなければ、お客様がついてくださらないからです。おいしい寿司を握るのは当然、でも、それだけなら誰にでもできる。お客様が「この人に握ってもらいたい」と思うかどうかが、本当の勝負です。技術を教えることはもちろんですが、難しいのは「職人として生きていく覚悟」を持たせること。簡単なことではないからこそ、できる限りのことを伝え、背中を見せていきたいと思っています。
ーーー最後に、高橋様にとって「おいしい」とは何でしょう?
「おいしい」は単に味のことではないですよね。もちろんネタの鮮度やシャリの温度、技術的な部分は大切です。ですが、それだけで本当に「おいしい」と感じるかというと、そうではないと思うんです。たとえば、どれだけ完璧に仕込んだ寿司でも、食べる人の気持ちが整っていなければ、100%の味にはならない。逆に気心の知れた寿司屋のカウンターで、心地良い空間の中で食べる寿司は、技術や理屈を超えて「おいしい」と感じることがある。その人にとって、一番良い状態で食べてもらうことが「おいしい」なのでしょうね。どういう場所で、どんな気持ちで食べるか。味覚だけでなく、空間づくりにもこだわっているのは、そこまで含めた味覚だけではない「おいしい」を目指しているから。そんな心まで満たせる寿司を握り続けたいと思っています。
余計なものを削ぎ落とし、素材の魅力を最大限に引き出す江戸前の技。それは、研ぎ澄まされた空間の中でこそ、生きるものだ。カウンターに立ち、空気を読み、会話の間合いを計る。寿司の一貫ごとに心を尽くし、お客様が「またこの寿司を食べたい」と思う時間をつくる。技と空間、人と人。そのすべてが調和する場所。それが【匠 進吾】なのだろう。
取材・文/荒川 ゆうこ
撮影/眞田 厚司
« Takumi Shingo » est un restaurant caché situé dans une ruelle de Aoyama-itchome. Les créations du chef Takahashi Shingo, fruit de son expérience et de son savoir-faire, offrent des nigiris et des amuse-bouches parfaitement calculés qui procurent à chaque visite une nouvelle émotion. L'intérieur du restaurant dégage une atmosphère chaleureuse, et la personnalité enjouée de M. Takahashi ainsi que son hospitalité exceptionnelle apaisent les cœurs. C'est un établissement plein de charme qui continue d'offrir la même délicieuse expérience et le même plaisir depuis la première visite.