ーーー料理人を志したきっかけは?
両親が共働きだったこともあり、小さい頃から料理を作る経験を積む中で料理が好きになりました。物心がついた時にはすでに料理をやりたい願望があり、小学校3年生の文集には「料理人になりたい」と書いていたので、料理人は私の天職だと思っています。パスタなど簡単なものを作って家族に振る舞ったり、中学生の頃には友達を招いて料理を作っていました。料理はもちろん、人を喜ばせることも好きでうまく嚙み合っていた気がします。料理の道に入ると決めて、高校の担任の先生に「中村調理師学校」を提案され、料理を学ぶことに決めました。調理師学校入学後すぐ面談があり、私が面談シートに「料理人でビッグになりたい」と書いているのを見たフランス料理の先生に【オテル・ドゥ・ミクニ】で料理人の世界観を見てくることを薦められ、現場研修に行くことになりました。研修では真剣な大人たちの世界を目の当たりにし、圧倒され、「ここで働いたら何か掴めるんじゃないか」と感じましたね。
専門学校卒業後は念願の【オテル・ドゥ・ミクニ】に就職が決まり、それまではやんちゃな恰好をしていましたが、入社式には五厘刈りにして臨みました。入社式では三國シェフにお声掛けいただき、「気合いで五厘刈りにして来ました!私はここで骨を埋めます!」と答えると、「お前は本店決定だ」と選んでいただいたんです。【オテル・ドゥ・ミクニ】は当時日本一のレストランと言われ、日本全国から新入社員が採用されるのは30人ほど、さらに本店配属は2人だけと聞いていました。後日先輩づてに聞いたのですが、月刊誌「シェフ」に三國シェフが「福岡から特攻隊みたいなやつが出てきて楽しみだ」と私のエピソードを話してくださっていたようで、そのことを知った時は母にも報告したくらいものすごくうれしかったです。
ーーー料理人としての人生が始まり、思い出されるエピソードなどはありますか?
入社1年目の新人は「包丁を触らせない」という絶対的なルールがあり、朝一番の仕事は「鍋磨き」でした。大量の鍋磨きを最初は私含め2人の新人でやっていたのですが、2ヶ月経つ頃に1人辞めてしまい全て1人でやることに。最初はコツも掴めず時間も掛かり、やり直しを指示されたりと上手くいきませんでしたが、いかに効率良く正確にできるか試行錯誤する中で、少しずつ考える力も身につき、仕事を認められるようになりました。
ある日、フランス料理界の巨匠ミッシェル・トロワグロ氏と親交の深い三國シェフが、一緒に朝の築地に行くという話があがりました。同行できるのは数人のみで、本で見るような偉大なシェフと築地ツアーなんて行きたいに決まってるじゃないですか!(笑)。どうしても一緒に行きたくて、集合時間前に鍋磨きを終わらせてみようと思ったんです。前日の営業終了後に帰ったフリをして厨房に戻り、深夜からいつも以上に張り切って鍋磨きをしていました。偶然にも三國シェフが現れ、「私も一緒に築地に行きたいので鍋を磨いてました!」と懇請したところ、同行が叶いました。今でも忘れられない思い出です。一つ一つ丁寧に仕事に取り組めば、誰かが見てくれていたり何か得るものがある、その積み重ねが大切だと実感しましたね。あの頃以上に辛いことは無かったですし、もう一度やりたいかと言われると迷いますが(笑)。
ーーー好奇心も向上心も豊かな修行時代だったのですね!
より多くのことを覚えたいので、率先して教えを乞うのですが「お前にはまだ早い」と言われ、いつになればできるのかと葛藤がありましたね。ならば休日を使おうと、週1の休日に他のレストランへ出向き、教えを乞うていました。当時は休むよりも技術を覚えたい気持ちが勝っていましたね。【オーグードゥジュール メルヴェイユ(日本橋)】に研修に入らせていただく機会にも恵まれたのですが、皆さん優しくシェフも穏やかな方で、レストランによって環境に違いがあることに衝撃を受けました。松本一平氏(現:【La paix (ラ・ペ)】オーナーシェフ)にご指導いただき、お誘いを受けて【オーグードゥジュール メルヴェイユ】への正式な入社が決まりました。
ですが、新たなスタートを切ったものの、数ヶ月後に交通事故に遭い、3ヶ月は全く働くことができず迷惑をかけてしまったので、完治したら今まで以上の熱意で頑張ろうと心に決めました。復帰後はとことん料理を研究し、少しでも恩に報いようと2年半程続けるうちに会社の規模も拡大し、当時の社長から「新たに出店する店(オーグードゥジュール メルヴェイユ 博多)を任せたい」とのお話をいただき、博多に戻ることが決まりました。
ーーーそのまま博多のお店へ?
店が完成するまでの期間は約1年半あったのですが、本場フランスで一度は働いてみたい気持ちがあり、なんとか行けないか考えて、お世話になっているシェフに事情を説明してリムーザン地方のオーベルジュを紹介していただきました。フランスに渡り、今思えば無謀だったと思いますが、土地勘もお金も無い中でなんとか無事に目的地に到着し、住み込みの仕事が始まりました。
一番良かった経験はムニュデギュスタシオン(お店のおすすめコース料理)を任されたことで、自分で食材を選び、何を作るか考えて料理する機会がもらえたことです。これは自分の中で大きな学びとなりましたね。東京で働いていた頃は色々なところから何でも仕入れられる環境だったのですが、フランスの田舎ではそうもいかない。限られた食材しかない状況に最初こそ苦戦しましたが、田舎にも「土地のもの(食材)」が溢れていることや味わいの素晴らしさに気付くことができ、福岡に帰ったら様々な生産者の元を回ってみようと思いました。また、滞在中はミシュランの調査が来て店が評判になったり、同僚たちが家に招いてくれたりと、短期間でしたがフランス人の生活感や哲学的な部分にも触れることができたので、実りの多い経験になりましたね。
ーーー充実した渡仏だったのですね!帰国されてからについてお伺いできますか?
帰国後は【オーグードゥジュール メルヴェイユ 博多】のシェフに就任しました。当時の私はモヒカンに黒のコックコート、あまり喋らずミステリアスで尖っていましたが、見た目に反し繊細な料理のギャップが良かったようです(笑)。必ず食後はお客様のテーブルに行ってご挨拶していたのですが、皆さん驚かれていましたね。結果的に、実直な姿勢と料理に関心を持っていただけたようで、良いスタートが切れました。
フランス修行時代に決めていたように、地元で気になる生産者の元を一軒ずつ全て回り、様々な地元食材を使っていることも評判になり、4年間は順調でした。ですが、年中無休でフル稼働していたことでスタッフも疲弊してしまって、「このやり方ではダメだ」と現状を見つめ直す必要に迫られました。何ができるかを考えた末に、私は新たな挑戦をしようと独立に向けて動き始めました。
ーーー元々は独立志向があったわけではなかったと?
当時の私が常に思っていたのは、シェフとしてのチャンスを授かり、お世話になった方たちへ恩返しをしたいという気持ちで、独立はそれまで考えたことが無く、店の良さをもっと広めたいという純粋な想いでした。独立の想いを会社の社長に打ち明けると、快く応援してくださったんです。それから店を構える場所を探し始めましたが全然ピンと来る物件に出逢えず、たまたま当ビルのオーナーさんに遭遇し事情を説明したところ、当ビルで開業するお誘いを受け、晴れて店の場所が決まりました。
ーーーついに開業を果たされたわけですね!
工事の遅れなどもありながら、ようやくビルも完成し、開店準備を進める中、たまたまカレンダーの2016年4月6日水曜日が目に止まり、4月6日(=白)と水曜日(=水)で「白水の日」だ!この日しかない!と開業日を決めました(笑)。開業時に届いたたくさんのお祝いのお花を見て、人との巡り合いやご厚意に支えられてここまで来れたことを改めて実感しましたね。翌年には「フランスレストランウィーク」九州代表として選出され、名だたる先輩シェフたちの中に一緒に並んだ時には、光栄な気持ちと達成感がありました。栄誉ある経験を経た後も決して自分に驕ることなく、お客様と向き合い続ける日々の中で、ミシュラン掲載の知らせを受け、ミシュラン一ツ星の評価もいただきました。家族や応援してくれている人たちにも喜んでもらえたことが一番嬉しかったです。
ーーー正に「順風満帆」のスタートダッシュとなったわけですね?
いいえ、好調なスタートを切れたと思っていた矢先にコロナ禍が始まり、これまでやってきたことが無に帰されるような感覚を味わいましたね。ですが、ずっと働き詰めで走り抜けてきたので、初めてゆっくり子どもと過ごす期間になったことは有意義だったと、今振り返ると思います。それまでは趣味=仕事でしたが、家族でキャンプをしたり初めてのことに挑戦したりと、「人生の豊かさ」を改めて知る機会になって、私自身の料理に対する想いにも変化があったと思います。コロナ禍で飲食店への規制があった際、とある企業の「人生には飲食店がいる」というCMを見て思ったんです。お医者様は患者さんの身体を治せる、私たち飲食業はお客様の心を治すことができると。レストランとして、誰かの拠り所だったり思い出の場を提供することができる、そのような側面も大事にしていきたいと改めて感じ、現在に至ります。
ーーー料理を作るうえで大切にされていることは?
以前は調理する際、例えば春の食材であれば青々とした春の香りから「何かを表現したい/お客様に届けたい」とまず思い立ち、連想する食材を考えていました。最初に湧いた閃きが霞むので試作回数も極力抑え、頭の中でイメージをひたすら練り上げてから調理していたんです。最近では、食材に触れて即興的な閃きで料理ができるようになってきました。これまで培ってきた経験と自分の目指す料理の方向性が「整った」ような感覚と手応えがありますね。
また、お客様を迎えるうえで常日頃大事にしているのは、どんな状況であれ誰であれ、年齢関係なく、目の前の方を笑顔にし、明日も幸せな気持ちでいられるように帰ってもらうことです。取材が来るから丁寧にやろうではなく、いつどんな時もお客様一人一人と向き合ってきた積み重ねが、今も当店を愛していただけている結果に繋がっているのだと思います。
ーーー今後の展望で考えていらっしゃることはありますか?
私は「地球笑顔化計画」を掲げているので、まずはスタッフや周りに居る人たちから幸せを広げていきたいです。料理人の難しいところは、作品が残らないことだと思うんです。音楽や絵のように作品が残らなくて、同時に感動を与えられる人数も違います。音楽ライブは何万人を同時に熱狂させることが可能ですが、料理人は目の前の人しか相手にできない。だからこそ足を運んでくださるお客様を必ず幸せにする場所でありたいんです。お客様が笑顔になり、「L'eau Blancheに行って良かった」と身近な人に嬉しそうに伝えてくれることで、周りの人にも笑顔の波紋が広がっていけば良いなと。これからも目の前のお客様の笑顔を第一に努めていきます。
ーーー最後に白水様にとっておいしいとは?
「おいしい」とはブラックホールのようだと思います。「おいしいとは何か」をずっと考えてきて、これまでに料理の瞬間性・色彩・香り・食材の切り方や置き方など、なんでも試してきましたが、「おいしい」が決まる要素としてはお客様自身の状態、食べる時間・体調・誰と食べるか・好みなど、味だけでなくどんな体験となるかも重要だと思うんです。また、料理人自身も良いコンディションの中で料理を楽しむことは、より柔軟な発想ができたり質の高い料理を生み出すことに繋がると考えています。
これまでは皿の上で「おいしい」を表現をしてきましたが、私は味や盛り付けだけでなく、私らしさも含めた複合的な「おいしい」を表現していきたい。考えることは尽きないですね。食べた瞬間おいしいのは当然で、料理人として一番嬉しいのは1週間後、1ヶ月後と時間が経っても思い出してもらえること。それが本当の「おいしい」じゃないかと思います。名前も忘れたけどあの時の料理がおいしかったと語ってもらえたら、最高の栄誉です。
常に料理に対して真っすぐに向き合い続けてきた半生の中で、料理のプロとして本気で作っておいしいのは当たり前、皿の上のおいしさだけでなく、空間や思い出・心のふれあいなど、あらゆる要素を含めた味の先にある満足度を目指したいと語る白水氏。そのひたむきな情熱と、現状に甘んじず常に考えを柔軟に変化していく姿勢は、多くの人にとって見習いたいものがあるのではないだろうか。そんな白水氏の想いを味わいに、【L'eau Blanche】へ足を運んでみてはいかがだろうか。
取材・文/AutoReserve Magazine編集部
撮影/鈴木 雅人
L'eau Blancheは、九州の豊かな食材を使用した創作フレンチを提供するレストランです。川沿いの開放感あふれる店内では、フレンチに独自のアレンジを加えた料理を楽しむことができます。シェフの丁寧な仕事により、一皿一皿が視覚と味覚の両方を満足させます。那珂川の美しい景色を眺めながら、心地よい時間を過ごせること間違いなしです。