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揺るぎない郷土愛で富山から日本料理の伝統と美しさを発信する【御料理ふじ居】
2025/3/7

揺るぎない郷土愛で富山から日本料理の伝統と美しさを発信する【御料理ふじ居】

江戸初期の建物が残る日本海側に面した美しい街、岩瀬町の一角で暖簾をかかげる【御料理ふじ居】。店主の藤井 寛徳氏は金沢や京都の名店での修業を経て、2011年に地元富山で同店を開業。移転後は2021年のミシュランガイドで二ツ星を獲得するなど、一流の日本料理店としての名声と道のりを支えるのは、「誠実に取り組む」という藤井氏の一貫した姿勢。「地域の方々と一緒に故郷を盛り上げていきたい」と語る藤井氏に、料理人としての歩みや修業時代の学び、そして後世に遺していきたいという想いを尋ねる。

日本料理人を志し、金沢・京都の名店で鍛錬した修業時代

ーーー料理人を目指したきっかけを教えてください。

父が鮮魚店を営んでいたのですが、週末も仕事があるので遊びに連れて行ってもらえず、夏休みの絵日記の題材も困ってしまうくらい、仕事が忙しい家庭でした。仕出し料理の注文が立て込んだ時は忙しくて父は家に帰ってこれず、母と一緒に着替えを届けに行ったこともありました。そのため、実は小さい頃は商売人には絶対になりたくない、週末は家にいて、決まった時間に出勤して帰宅する会社員が良いと思っていました。しかし、いよいよ高校卒業後の進路を決めるとなった時、気づくと調理師の専門学校パンフレットを取り寄せていました。小さい頃から料理に慣れ親しんでいたこともあったため、自然と興味が湧いたんです。また、当時はテレビ番組「料理の鉄人」の全盛期で、日本料理人のかっこよさに憧れたのと、板前と料亭を題材にした漫画「味いちもんめ」を読んで日本料理の道に進もうと決めました。調理師学校では、最初の一年間で様々なジャンルを経験してから最終的な進路の方向性を決めるのが一般的です。ただ、私ははじめから日本料理と決めており、幅広いジャンルを学ぶよりもじっくり時間をかけて日本料理を深く学びたいという想いから、辻調理師専門学校で日本料理のエキスパートを育てるコースに入学しました。

ーーー卒業後、まず金沢で修業をスタートしたそうですね。

金沢の料亭【日本料理 銭屋】に住み込みで5年間働きました。料理長の下に煮方や焼き場などのポジションがあり、上下関係の厳しい縦社会で私は最初の2年は鍋洗いの担当でした。少しずつお仕事を任せていただけるようになり、最終的には刺身を作る役割を担当させてもらうようになりました。

厳しい下積み時代に辞めてしまう仲間もいましたが、私は辞めようと思ったことはほぼありません。それよりもこの世界で生きていくために腕を磨き、知識・教養を身に付けたいという想いの方が強かったです。最初の2年は鍋洗い以外にも掃除や先輩のお使いなど、やることが多かったですし、辞めようかと悩んでいる時間すらなかったのかもしれません。

日本料理 銭屋】の料理長は一切手を抜かない方でした。プロとして効率の良さは図りながらも、手を抜いてはいけないところは一切手を抜かずにやられていました。たとえ時間がない時であっても、一つの工程も省かずにやることが当たり前なのだと学び、現在の自分の料理と向き合う姿勢に繋がっています。

ーーーその後、次の修業先に移ったきっかけを教えてください。

修業を始めて5年が経過した頃、まだまだこの世界で生きていく腕は身についておらず料理長に相談をしに行きました。料理長は京都で修業をされていたのですが、料理長の師匠にあたる方が、ちょうど京都で人を探しているということを聞きました。それが京都の【御料理 味舌】で修業をすることになったきっかけです。私は元野球部で気合を入れる時に坊主にしていた習慣から、再度気合を入れなおすつもりで丸坊主にして(笑)、布団だけ向こうに送って身一つで京都へ行きました。

最初の修業先の【日本料理 銭屋】では、規律や社会人としての心構えのようなものを徹底的に叩き込まれましたが、【御料理 味舌】では料理について本格的に学びましたね。私のほかは兄弟子が2人と少人数だったので、一人に任される裁量が大きかったです。また、祇園町のメインストリートの四条通沿いなので人通りも多く、瞬発力や臨機応変さが身に付きましたね。当時の経験のおかげで、お店に一気にお客様がいらっしゃったような時でも落ち着いて対応できるようになりましたし、場数を踏むということが大きかったのだと思います。それから6年間、味舌大将には本当に大切に育ててもらいました。味舌大将も一切手を抜かない方で、ご自身が教わってきたことは全て弟子に教えるというスタンスでいらっしゃいました。一方で柔軟な面もお持ちで、季節を表現する八寸ではチーズを取り入れた料理を提供されるなど、伝統を守りながら柔軟な取り組みをしていくことが、長く生き残っていく秘訣なのかなと感じましたね。

富山の居酒屋や料亭で食材の活かし方などを学び、満を持して独立へ

ーーーどのように独立をイメージし始めましたか?

料理で自分だったらこうしたいという発想や考え方をすることが少しずつ増えてきて、自分の店を持つことをイメージし始めました。正直に味舌大将に相談をしたところ、「私の持っているものはすべて教えたから」と言って、送り出してくださいました。味舌大将には本当にお世話になったため、最後の一年間はそれまで受けたご恩をお返しするつもりで働いて、学んだことは全て後輩に伝えていきました。ありがたいことに、味舌大将とは今も連絡を取らせていただいています。師匠という方がいるのであれば、末永く懇意にして、そのご恩は忘れてはいけないと感じますね。これまで自分が成長していく過程で、その都度、師となる方と出逢い、薫陶を受けてきたことを実感しています。

ーーー富山に戻られてから、独立するまでの経緯を教えてください。

自分の店を持ちたいという想いはあったものの、高校を出てからずっと富山を離れていたため、きちんと富山のことを知らないという自覚があり、今一つ自信に欠けていました。そのため、地元のお店で働き、富山を肌で感じたいと思い、居酒屋で半年程度働きました。そして、それまで料亭でやってきてできると思っていたことが、居酒屋になるとガラリとやり方が変わってできなくなるということを経験しました。例えば料亭では、サンマを3枚に卸して、はらわたは細かくたたき、醤油ダレをかけながら焼くという手の込んだ調理をしますが、居酒屋で「サンマを一本丸ごと串焼きにしてみて」と言われてできなかったんです。「本当に京都で修業を積んできたの?」と言われたこともあり、悔しい経験もたくさんしましたね。ですが、プライドは一切捨てて、必死に食らいついて色々なことを学びました。特に地元の食材を柔軟な発想で調理されていることは貴重な発見で、例えばお造りに使われるバイ貝は、日本料理では殻が柔らかいので叩いて身だけを刺身として使いますが、居酒屋では殻を捨てずに盛り合わせの飾りにするなど工夫をされていました。

ーーーその後、富山の料亭でも働かれたそうですね。

居酒屋にいらっしゃったお客様に、富山の料亭【海老亭別館】のご主人がいて、その方とお話する中で、やはり自分が進む道は日本料理や料亭の道であると再確認しました。また、ご主人はお店を先代から受け継いでから、今までやっていなかったことをしてリニューアルしていきたいという想いがあり、私の京都や金沢での経験を買っていただき、一緒にやらないかとお声掛けくださいました。私は独立を見据えて地元に帰ってきたので、長くは働けないかもしれないと正直に伝えると、「それくらい本気の人じゃないとだめだ」と言ってくださり、【海老亭別館】で働くことになりました。

ご主人は本格的な日本料理の腕前を見たいとのことでしたので、それまで私が習ってきたことを惜しみなくお見せしました。それまでご主人がやってこられたことと、自分の学んできたことをうまく擦り合わせながら、料理を作っていきましたね。また、京都で和菓子作りも仕込まれていたので、毎月の和菓子作りのノウハウもお伝えしました。

独立に向けて、ご主人からは「自分の店なら、というシミュレーションもしながらやってもらって構わない」と言っていただき、原価計算など経営面の視点も持ちながら料理をすることができました。それまでは、純粋においしいものだけを追求して作ってきたので、この経験はとてもありがたかったですね。また、仕事以外の時間で開業本を読み漁ったり、様々な先輩方の話を聞きに行ったり銀行にご挨拶に行ったりと、少しずつ準備を進めました。【海老亭別館】に3年在籍した後、2011年に当店を開業するに至りました。

経営者として8年間奮闘後、古い町並みが残る岩瀬町へ移転

ーーー開業してからはいかがでしたか?

最初は富山駅からタクシーでワンメーターくらいの距離の場所で店を始めました。その物件は、当時の自分の力で借りることができた精一杯の場所で、カウンター6席とテーブル席2つ、小上がりの座敷席がある店舗でした。それまで料理しかやってこなかったので、支払い方法なども少しずつ学びましたね。なかなかお客様がいらっしゃらない時期もありましたが、地元のフリーペーパーに載せてもらったことをきっかけに、より多くのお客様に知っていただき、お越しいただけるようになりました。ただ、料理にこだわればこだわるほど採算が合わなくなったり、単品料理も提供していたこともあって店舗運営をしていくのに日々必死で、てんてこ舞いでしたね。

ーーーどのようなきっかけで現在の岩瀬町に移転しましたか?

当時、お客様として日本酒「満寿泉」の蔵元が足しげく通ってくださっていました。その方から、酒蔵のある岩瀬町が昔は北前船で栄えて賑やかだったが、今は少し閑散としているので盛り上げていきたいから来てくれないかというお話をずっといただいてたんです。おいしいものがあったら人が集まるという蔵元の想いもあり、岩瀬町には飲食店をやっている人が集まってきていて、蕎麦屋・イタリアン・フレンチなど様々なジャンルの飲食店が軒を連ねています。

最初はお断りしていたのですが、開業してから8年経過した頃、自分ができることはやり尽くしたかなと思っていたタイミングにまたお声掛けいただき、移転することを決意しました。現在当店が使っている屋敷は、元々北前船の交易で財を成した方のお宅でした。庭の当時の雰囲気をそのまま活かしながら、建物は店としてそのまま使えるような状態ではなかったので建て替えて、というように設計から関わりながら構想を練っていきました。

ーーー空間づくりで意識されていることはありますか?

和を感じられる空間づくりです。最近では和食のお店でもモダンな雰囲気の店舗も多いですが、私は日本料理店としてやはり畳は必須だと思っており、いい意味で昔ながらの日本家屋のような空間づくりを意識しています。座敷に床の間を作って、季節のお花と掛け軸を飾ることで、お客様へのおもてなしにも繋がります。席は座卓のような形式を当初考えていましたが、お客様の座り心地を考えて、テーブルと椅子の席、掘りごたつ式のカウンター席を設けました。また、入口では履物を脱いでいただくため、中と外で気持ちも切り替わりやすくなるかなと思います。

ーーー移転後はどのように軌道に乗せていきましたか?

最初は様々な方に知っていただきたいという想いから、少し価格帯を抑えてスタートしました。そこから自分の理想とするものを高めの価格帯でも提供し始めたことで、おいしいものを求めている県外のお客様にもお越しいただけるようになりました。食材の高騰など世界情勢が変化する中、自助努力だけでは難しいこともあり、価格も少しずつ上げてきましたが、皆様には「御料理ふじ居なら」と受け入れていただき、ありがたかったですね。

ーーーお客様から信頼されてこそ、ですね。

開業当初から一貫して「誠実にやる」という想いを大切に、真面目に料理を作ってきたので、それがお客様にも伝わっているのかもしれません。店を持った当初は、お客様により良い料理を提供したいという気持ちばかりが先立ち、商売の視点から店を継続できないような状態を続けてしまいました。ただ、店が潰れてしまっては元も子もないですし、スタッフの給料を支払うためにも、お客様からは自分たちがしたことへの正当な分をお支払いいただくという視点を持つようになり、自分の思い描く理想と経営とのバランスを取れるようになってきたと最近は感じています。

富山の一住民として「地域を盛り上げたい」という揺るぎない想い

ーーー食材へのこだわりを教えてください。

富山の魅力を発信したいという想いが一番強く、同時に料理人として日本で一番おいしいものを提供したいという想いがあり、本来は食材は全て富山のものでやりたいと思っています。ただ、魚は自信を持って富山が良いと断言できますが、例えば雲丹は富山で獲れないので、北海道産のものを使用することもあります。また、野菜に関してはどうしても他の産地のものには敵わないという場合もあり常に葛藤しています。例えば京都の賀茂茄子はポテンシャルが高い野菜ですが、その原種に福井県の吉川茄子という丸茄子があり、甘くとろけるような味わいが素晴らしくて使用しています。やはりそれぞれの地域によって得意分野があるので、富山でなければ近隣の県の食材のもので厳選するなど、できる限り北陸地方の食材で揃えてやっています。

ーーーこの土地でお店をやる意義をどのように感じていますか?

故郷を盛り上げたいという想いが強く、自分が店をやるのは富山でなければならないと感じています。岩瀬町では昔から毎年5月に曳山車祭を開催していますが、人が少なくなっても規模を縮小させるのではなく、できる限り存続させようと地域の方々が熱意を持って取り組んでいます。また、私の娘たちはまだ6歳と2歳で、地元の保育園や小学校とも繋がりがあり、商売以前に一住民という意識で、地域の行事にもできる限り積極的に関わっています。

当店の価格的になかなか地元の方に頻繁にお越しいただきづらいのですが、年に一度、曳山車祭の日は店舗をお休みにして、町の方たち全員を招待して過ごしていただいています。昔は商売をやっている人は地元の方と疎遠になりがちだったという話を聞いたこともあるのですが、私は地域の人と一緒に盛り上げていきたいと思っています。実際に「町を盛り上げようとしてくれて、良い雰囲気になってきた」「藤井さんが来てから、この町の人たちも少し変わったね」という声も聞くことがあり、ありがたいです。振り返ると、特に何か作戦を立てて戦略的にやってきたということはなく、嘘をつかずに日々をちゃんと積み重ねてやっていくことが、結局は理想とする場所にたどり着くための一番の近道なのではないかと感じています。

ーーー後進を育てるうえで意識していることはありますか?

若いスタッフを指導する際、例えば彼らが何か失敗をした時、その失敗自体に怒ったことは実は一度もないんです。ただ、その失敗を隠して取り繕ったり、嘘をつくことに対しては怒ります。意図しない形でお客様の前で料理や接客として出てしまうことは、あってはならないと思っているからです。正当な店というスタンスでやっているからには、スタッフにも嘘はつかないで誠実にやってほしいと伝えています。

また、指導をする際には料理に関連する知識も合わせて教えています。例えば如月の八寸には「立春大吉」という赤札を添えていますが、2月だから単純に「立春大吉」と覚えるのではなくて、なぜ「立春大吉」なのかも伝えます。それぞれの季節の縁起物や習慣の由来などを説明できるくらい理解して、それを踏まえたうえで料理を表現するのと、理解せず表現するのとでは、お客様に伝わるものの密度に違いが出ると思っています。

日本の伝統文化を支える一翼を担い、後世に伝統や想いを伝えていきたい

ーーー器をオーダーメイドされることも多いそうですね。

昔は骨董品が素晴らしいと思っていましたが、輪島の現状なども鑑み、輪島塗の職人さんが育っていってほしいという想いから最近は注文をするようにしています。例えば里芋しんじょうの椀物は輪島塗のお椀を使っていますが、椀の蓋の内側には立山連峰の絵に螺鈿や梨子地粉などを用いた蒔絵が描かれていて、全てオーダーメイドでこちらの要望を細かく伝えて作ってもらいました。一つのお椀で様々な技術を経験できると、職人さんも腕を磨くことができますよね。これから仕事がどんどん少なくなって、輪島塗が途絶えるというのは忍びないので、どんどん職人さんたちに作ってもらいたいですね。

やはり我々のような日本文化に携わる日本料理人たちこそ、伝統工芸の文化を存続させるために寄与しなければならないと思います。器だけではなく、当店の襖や畳・座布団も全て職人さんの仕事で成り立っており、職人さんたちがいないと、私たちがやっていることは成り立ちません。一方、伝統工芸の世界で後継者を育てることは相当大変なことだと聞いています。そのため、注文することで仕事が生まれ、技術が磨かれて育っていくのであれば、私もきちんとした商品を注文できる力をつけられるように頑張っていきたいと思っています。そして、かつて名人と言われたような人たちがこれからの時代にも育っていってほしいですし、その日本の伝統工芸を支える一翼を担えればと思っています。

ーーー今後の展望を教えてください。

骨を埋める覚悟で地元に戻ってきたので、他のエリアでやるつもりはありませんし、二店舗目という発想もあまりないですね。私がいることがこの店たる所以だと思っていて、私が出張などでいない日は休みにしています。ただ、私しかやるべきことをできなくて、私がいないからできないという状態は全く目指していません。昔は「背中を見て盗め」的な教え方もありましたが、私は若いスタッフに教えられることは積極的に教えていますし、誰かが抜けても他の誰かがカバーできるような体制を作ることが大事だと思っています。スタッフにどんどん仕事を任せることで、もっと頑張ってみようと思うモチベーションにも繋がれば嬉しいですし、将来独立して自分の店を持つスタッフが育つことが目標ですね。自分の子どもたちに対しても継いでほしいという想いはなく、自分が好きなことをやってほしいと思っているんです。もし誰もこの店を継がなくても、私が創り出す「イズム」を受け継いで、日本のどこかで誰かがそれを実践してほしいという想いはあります。そうしたら自分が生きてきた甲斐もありますし、それが後世に伝えたということにもなるのかなと思います。

ーーー最後に、藤井様にとって「おいしい」とは?

おいしいは「美味しい」と書くように、まず見た目が美しいということが大切だと思っています。日本料理は美意識の観点から、まず美しくないとならないという想いから、盛り付けにはとても気を遣います。料理と盛り付ける器の組み合わせや、器に盛りつけた時の余白のバランスなども考え抜いており、それぞれの理(ことわり)が明確である料理を作りたいと思っています。美しく、味を兼ね備えたもの。それこそがおいしいと言えるのだと思いますね。

風情ある街並みに佇む数寄屋造りの門をくぐり、趣ある屋敷内に足を踏み入れ、緑深い木々と大きな石と池を配した日本庭園を眺めながら、藤井氏が創る極上の料理を美しい器でいただく。北陸の旬の食材からなる繊細な季節の料理・お酒や酒器・設えと器。その全てが細部に至るまで完璧で、卓越した日本文化を堪能しながら、日本料理の真髄に触れられる幸福を嚙みしめる。人生を通じて誠実に、ひたむきに料理と向き合い続けてきた藤井氏の想いが込められた【御料理ふじ居】は、まさに富山が世界に誇る名店だと感じた。

取材・文 / 佐田 優佳
撮影 / 安井 智洋

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