ーーー料理人を志したきっかけは?
親の背中を見て育ったことが大きい気がします。小さい頃、店内の隅っこのテーブルから、父が作った料理をおいしそうに食べるお客様の顔を見ていました。仕事帰りの方、お酒を楽しみながらゆっくり過ごす方——その光景を見て、「幸せそうだな」と感じていました。
その後大学生になって、将来何をしたいのか、僕にできることはなんだろうと考えた時に、自然と料理の世界なのかなと思ったんです。ただ、料理人の方のエピソードを聞くと、みなさん中学や高校を卒業した早い段階から料理の世界へ入っていますよね。それに比べると危機感を覚えました。そこで大学卒業も視野に入れながら、2年生までの期間で一気に単位を取れる分だけ取り、大学2年の後半から学業と並行して料理人修業を始めました。
真剣に働く父の背中を見て、「代々受け継がれてきたものを守りたい」という理由もあります。ただ僕自身、料理そのものも好きですが、何より”お客様が喜ぶ姿”を見るのが好きなんです。プレゼント好きな人と同じで、至るまでの過程も好きだし、その後喜ぶ顔を見るのが好きで、だからこそ自分は今料理人をやっているのかなと思います。特に仕込みの時間はけっこう苦しいですが、その先にある”お客様の喜ぶ顔”を楽しみに想いながら作業しています。
ーーー根本には”人を喜ばせたい”という想いがあるのですね。
はい!自分でお客様のことを考えながら献立を組み、仕入れに行き、提供する順番を組み立てる。お迎えするための設えだったり、その準備に苦労を掛ける。その積み重ねによって、より一層”お客様の喜ぶ姿”という楽しみが増える。そうした過程そのものが面白いと感じられるからこそ、料理人を続けていられるのかなと思いますね。
ーーー修行先を決めた時のことをお聞かせいただけますか?
将来については両親にも相談していて、父は「自分の好きなようにやりなさい」という方針でした。きっかけとなったのは、「和食のコース料理って食べたことなかったよね」という母の一言。一緒に【神楽坂 しふく(閉業)】へ食事に行きました。今はもう閉業されていますが、2階が畳の茶室で1階にカウンターという、古民家で営むお店でした。お料理もとてもおいしく感銘を受けた僕は、「ここで学びたい」と一気に心が突き動かされました。次の日、「給料はいらないので修業させてください」と頭を下げ、それが料理人としての始まりでした。本当にがむしゃらというか、思い切りがありましたね(笑)。
ーーー飛び込む形で料理人修業が始まったんですね!
そうですね(笑)。親方(神楽坂しふく店主の伊藤 彰人氏)も「昨日食べに来てくれた子だよね」という反応で、驚いていました。包丁を触ったこともなく、器や食材の名前も全く知らない状態からのスタートだったので、ご迷惑もかけましたし、今思い返しても料理人としてゼロの状態だった僕をよく受け入れていただいたなと思うんですよ。
ーーー次の修行先へはどのような経緯で?
4年ほど経った頃、【ぎんざ 一二岐】やオープンされたばかりの【よし澤】で吉澤親方(吉澤定久氏)と出会い、料理技術に大変感銘を受けたのがきっかけです。その後、【よし澤】で憧れの吉澤親方に拾っていただきました。
ーーー修業時代に料理長を務められた経験もあると伺いました。
吉澤親方は様々なポジションを一任してくださるんです。料理長という責任のある立場になり、初めて理解できたこともたくさんありました。肩書があることへの責任感やスタッフに支えられるありがたさ、そしてお店はチームなんだと実感しましたね。
30代前半で料理長を務めさせていただきましたが、僕はまだまだ未熟で、お客様にたくさんお酒を飲んでもらえさえすれば売上になると考えた時期もあったり・・・。次の月にお客様が減ってしまうという経験もしました。
そんな時、吉澤親方にご指導いただいてよく覚えているのは、「料理長は料理を考えるだけでなく、スタッフやお客様のことも考えて、空間全体を見るようにしなさい」ということ。お客様との接し方やお店としての考え方まで、ありとあらゆることをしっかり学ばせていただきました。僕がいずれ【楓庵】を継ぐ立場にあることも視野に入れてくださっていて、自身の責務とは何かを改めて考えるきっかけになりました。
ーーー料理技術についても、吉澤親方から踏襲されているんですよね。
そうです。特に、現在スペシャリテとしてお出ししている「鰹の藁焼き」は、吉澤親方から継承させていただきました。初めて食べさせていただいた時に大変感銘を受け、吉澤親方の元へ修行に入ったきっかけの料理でもあります。
これを言うと親方にはいつも怒られますが、料理人としてはもちろん、私生活まで正していただいて、もう13〜14年の付き合いになります。僕にとって吉澤親方は、公私ともに「第二の父親」的な存在なんです。
ーーー【赤坂おぎ乃】でのご経験はいかがでしたか?
【赤坂おぎ乃】は1ヶ月ほどの短い期間で、修業というよりお手伝いや研修に近い形でお世話になりました。荻野聡士さん(赤坂おぎ乃店主)は、中学の2年上の地元の先輩でもあり、俳優のような料理人です。
一番勉強になったのは、目配り、気配りといったお客様への対応ですね。例えば、営業中にお客様のグラスが空いたのでお声掛けしようとしたら、すでに荻野さんがお客様に「次、日本酒ですよね」とアイコンタクトされていて。もちろん料理技術も高い方ですが、お客様一人一人をしっかり見て、いかに楽しませることができるか考えて動くところがすごく学びになりました。
荻野さんが常々仰っていたのは、俳優のようにとにかく笑顔が大切だということ。最近では、お客様がSNSに料理人の姿を投稿されることも多いじゃないですか。調理しながらでも、お客様と必ず目線が合うように意識されているんです。「しっかり目を見て接客すれば悪いことはないと思うから、あとは自分の料理を自信持ってお出しして、気に入ってもらえるかどうかだ」と背中を押していただきました。
ーーー老舗の蕎麦屋から日本料理へと転換する決断に至った背景を教えてください。
最近は町の蕎麦屋さんも少なくなりましたよね。コンビニやチェーン店も増え、フードデリバリーも普及し、選択肢がたくさん増える中で需要が減っていて、工夫していかないと生き延びていけないなと。
もう一つは、僕自身が日本料理屋で学んできたことも踏まえ、自分の持てる力を最大限に活かし、お客様に満足していただくにはどうするかを考えました。土台は【楓庵】の日本蕎麦屋という部分を大切に屋号も残す。そこに僕の勉強したことをプラスして、よりお客様に喜んでもらえるようステータスを上げていきたい。そのためにはどう進化したら良いかと考え、【楓庵】のリニューアルに至りました。
ーーー5代目として何を変え、何を残したいとお考えですか。
屋号はもちろん、お料理や蕎麦の「おつゆ」もずっと守っていきたいです。創業時から変わらない「おつゆ」を楽しんでいただくため、コース設計は「冷やしの蕎麦」で始まり、「温かい蕎麦」で終わるところにこだわっています。
屋号を残したいという想いが強くなったのは、子どもが生まれた時に奥さんが「楓」と名付けてくれて、両親も「楓」の名をすごく喜んでくれて、その姿を見たことが理由の一つになりましたね。
そして【楓庵】がこの四ツ谷の地で長く続いてきたという歴史もあり、「四ツ谷」の名を背負って一旗揚げたいなと考え、新たな屋号を【よつや楓庵】としました。
ーーー料理について大切にされていることはありますか。
「これでいいか」という妥協は絶対無しです。納得ができるレベルまでお料理を突き詰めるようにしています。そして、お迎えするお客様のことを考えて準備を整えます。このお客様はカニがお好きだったなとか、どうやったら喜んでいただけるかな、とお客様に合わせてイメージしながら組み立てていますね。
「メイン料理は何ですか?」と聞かれることがあるのですが、僕の場合はメインを据えて構成を立てるより、起承転結のように「流れ」を意識しています。華やかなお料理があれば、その次に寂びているお料理と言いますか、シンプルなお料理を組む。そのバランスを大切にしています。
親方譲りですが、洋服でも全体のバランスが大事なのと同じで、全てを華やかなお料理にすると疲れちゃうので、合間にお野菜やお浸しを添えたり、蟹のお料理の次にちょっと箸休めで酢の物をお出ししたり。お口直しにお飲み物で仕切り直してから、次のお食事に進む。このバランス感覚は修業中に培った自分自身の引き出しにあるので、あとは組み合わせ次第だと考えているんです。
壁にぶつかった時は、「このお料理がまずかったのかな」「こうじゃない」と部分部分を考える前に、必ず一歩引いて、全体を見直すよう意識しています。修業期間とは、自分の引き出しを増やして、感覚を研ぎ澄ますことができた大切な期間だったのかなと思います。
ーーー食材のこだわりなどがあれば教えてください。
自分で食べておいしいと思える食材を、信頼できる仕入れ先にお願いしています。本日お出しした鰹もそうですが、修業時代からずっと同じ鰹屋さんにお願いしていて、今では15年ほどの付き合いです。仮に他より高くても良いものを必ず入れてもらえる信頼のおける人にお願いしたいんです。
八百屋さんも修行時代からお世話になっているところと、父が仕入れていた八百屋さんに頼んでいます。仕入れ先の業者さんには最初に「気に入ったら長い付き合いをさせてください」といつもお願いするんです。付き合いや出会いをなるべく大事にしていて、信頼できる方に任せています。
ーーースタッフのみなさんに対する想いをお聞かせいただけますか。
スタッフたちはみんな修業時代からも一緒で、みんな僕より先に親方の元を離れ他での修業に出ていたのを、親方の後押しもあって僕の独立に合わせて付いてきてくれたんです。親方が信頼して任せてくれたように、僕も彼らにそうしたいと考えていて、任せる部分を作るようにしています。
あるお酒が好きなスタッフには、蔵元へ行ってお酒の仕入れを頼んだり、和菓子の勉強をしていたので、その月の甘味をどうするかの相談もします。秋にはお客様から「モンブラン作ってよ」と要望があり任せたこともありましたね。またもう一人別のスタッフは、真面目で変なことは絶対しないという信頼があるので、裏方を全部任せています。仕事を任せてもらって嬉しかったという経験は僕にもありましたから、スタッフたちにもどんどん成長してほしいので、やりがいになればと思い、大事な仕事も任せるようにしているんです。
目指すなら独立も応援するつもりでいます。そのためにも、【よつや楓庵】が盛り上がるよう一緒に考えて行動してくれたら、彼ら自身の能力も養えて、それが独立への最短ルートになると思っています。
ーーー最後に、今後の展望をお聞かせください。
スタッフたちにも伝えていますが、「僕一人の力だけではできない。チームとして、この【よつや楓庵】の文化を守っていきたい。そのためには、もう一度行きたいなと思ってもらえるお店を目指していこう」とずっと考えています。僕が感じるのは、料理がおいしい、人が良いという要素があるうえに、他の付加価値もあるお店だと思うんです。その付加価値とは何でも良くて、例えば家から近い、隣の席との距離感が保たれて居心地が良かった、店主さんとの話が楽しかった、上着を返すときの所作が丁寧だった、お会計のタイミングが良かった、とか。そんな要素が増えていくほど、もう一度行きたいお店になれるんじゃないか、それを【よつや楓庵】のチームとして突き詰めていこうよ、といつも話しています。
料理について妥協はしない、そしてチームでお店を守っていきたい。そう語る姿に、修業時代から続く料理人としてのひたむきさと、組織の長として責任に向き合ってきた年月がにじむ。”人を喜ばせたい”という想いを胸に、お客様の好みを思い浮かべながら献立を組み立てる姿勢を楽しそうに語る山田氏の柔らかい表情が印象的だった。四ツ谷の地で受け継がれる味と想いは、これからも愛され変わらぬ味と、新たな物語として続いていくだろう。
取材・文/AutoReserve Magazine編集部
撮影/馬場 昇一
四ツ谷で続く老舗蕎麦屋の5代目が手掛ける日本料理店です。代々受け継ぐ蕎麦の味と、日本料理の技術を活かし、信頼をおく仕入れ先からの旬の食材で一皿一皿を丁寧に仕上げています。スペシャリテの「鰹の藁焼き」は、六本木【よし澤】で修業を積み、師である吉澤定久氏から継承した自慢の一品。長年愛されてきた味を守りながら、お客様に喜ばれるお料理を提供しています。心温まる日本の味をご堪能ください。