ーーーコースの一品目の料理について教えてください。
地元農家の野菜を使った一皿は、30種類ほどの野菜を炭焼き・燻製・茹でるなど、それぞれに適した方法で調理していて、手に入る旬の野菜を全て盛り込むようなイメージでやっています。新鮮な野菜は炭で焼くだけでもおいしいので、ドレッシングはシンプルにジュレ状のシートを一枚被せ、そのままの味を楽しんでいただきたいと思っています。野菜が主役の一皿は、オープン以来コースで必ず提供しています。
ーーー自然豊かな土地でお店をやる魅力とは何でしょうか?
京都と奈良の県境に位置する木津川は畜産が盛んな地域でも海が近いわけでもないですが、近郊の南山城村では京野菜が多く栽培されていて、近所にも農家さんがたくさんいらっしゃいます。この地域でやっているからこそ先ほどの野菜の一皿も生まれましたし、新鮮な野菜を使った料理を提供できるというのは、この土地でレストランをやる醍醐味だと思いますね。農協やスーパーを通して仕入れる野菜は見た目が綺麗なものが多いですが、実際に料理する時は加工して使うので、大きさが全て同じに揃っているかどうかは重視していません。むしろ、野菜は小さい時の方がおいしさが凝縮されていてコース料理で出す際には適していたりするので、農家さんに大きさや収穫時期などを伝えながら仕入れられるのがとても良いですね。
ーーー地元でお店を開くことはいつ頃から考えていましたか?
実は最初は都会に憧れていました。僕が料理を始めた頃の1995年以降は、ティラミスが日本に伝わり大流行したんです。東京発のイタリアンブームが起こり、料理雑誌で取り上げられるのは東京のお店ばかりだったこともあり、東京に行った方が良いのかなとも思っていました。
料理人としてのキャリアは、料理の専門学校を卒業後、まずは奈良県のイタリア料理店で働きました。その後イタリアに渡るのですが、現地で知ったのは有名なレストランは都会にはなくて、皆さん田舎へ1時間くらいかけて食べに行くということでした。単に立地が良いからその店に行くのではなく、都会からわざわざ田舎へご飯を食べに行くという文化を肌で感じて、地元でやることも意識し始めました。イタリアで約7年間修業する中で、地元でやりたい気持ちが少しずつ高まっていきましたね。
ーーーイタリアではまず最初にどのように修業を始めましたか?
フィレンツェから1時間ほど南下した場所にある、トスカーナのシエナという田舎町で最初の修業を始めました。ワインの産地でもあり、昔ながらの町並みで観光地としても有名な場所で、語学学校が通いやすい値段だったこともあり、シエナのレストランで1年ほど働いて語学力も上達し、ある程度コミュニケーションもとれるようになった頃、もう少し上のレベルのレストランを見たいという思いが芽生えました。いくつかお店に手紙を送ったところ、返事が来た中で一番条件が良く憧れのあった【エノテカ・ピンキオーリ】で働けることになったんです。
【エノテカ・ピンキオーリ】は当時、日本で一番有名なイタリアのレストランでした。オーナーが「日本人にもおいしいイタリア料理を食べてほしい」という意向から銀座に支店を出していて、当時イタリアの星付きレストランが日本で店を持っていることが少なかったこともあり、憧れのレストランでしたね。本店はイタリアで1・2を争う高級店で、僕はそうした環境に身を置いて働きたいという想いがありました。また、当時21歳の僕にはお金もコネもない状態でしたが、1日で5〜6万円するクオリティの高い料理を食べるにはどうすればいいかと考えた時、そのお店で働くのが一番いいと考え、働くことにしたんです。
ーーー【エノテカ・ピンキオーリ】ではどのような経験をされましたか?
僕が働き始めた時のミシュランの評価はずっと二ツ星でした。ちょうどその10年前に三ツ星になったのですが、三ツ星を取ったシェフがミラノでの独立を機に辞めたことにより、二ツ星に戻りました。ヨーロッパのミシュランでは、シェフが退任して新しいシェフが就任すると評価をもう一度見直す必要があるとして、星を一つ減らすことが暗黙のルールとされています。新しいシェフが就任して10年の間、星を取り返そうと頑張っていましたが叶わずにいたんです。僕が入った頃はちょうど店がキッチンを全改装してリニューアルを行い、次の年には絶対に三ツ星を取り返すぞと皆んなが盛り上がっている時期でしたね。
そんな中で僕はパスタ部門の責任者を任されることになったんです。一年間僕だけがパスタを作り、お客様に提供することになりました。料理のメインとなるパスタを一人で、しかも大勢の分を作ることに相当なプレッシャーもありましたし、日々怒られることもあり厳しい環境ではありました。ですが、【エノテカ・ピンキオーリ】でパスタ場を経験して日本に帰ってきた料理人たちは有名な方ばかりだったので、まさか自分が担当できるとは思っていなかったですし、「一流店のパスタの責任を全て負う」ということにやりがいを感じて懸命に作り続けましたね。
その結果、なんとその年に星の奪還が叶ったんです。かつて二ツ星にランクが下がってからもう一度三ツ星を取り返したレストランはなかったため、イタリア初の快挙となりました。自分の作ったパスタが快挙の一つの要因になったのかなと思うとすごく嬉しかったですね。パスタはイタリア料理の重要な要素なので、もし自分がパスタ作りに失敗していたら、この結果には結び付かなかったかもしれません。この経験が自分にとって大きな自信へと繋がり、今の立地で勝負することもできています。その想いは今でも揺るぎないものとなっています。
ーーーイタリア生活で印象に残っていることを教えてください。
イタリア人は良い意味で「自分の時間」をすごく大事にするんですよね。店の経営者も含めて皆んな休みをきちんと取ります。休みのために働き、働いて得たお金を全て夏のバカンスに使う若者もたくさんいましたし、そのくらい「楽しむ」ということに正直な国民性と文化があるのだと感じましたね。そして、その「楽しむ」という延長線に食事もあり、「おいしいトマトソースを食べられる店があるから、町からちょっと外れるけどそこに行ってみようか」という感覚があります。その道中さえも楽しむ雰囲気があり、日本と違って近場で食事を済ませようという感覚はあまりなくて新鮮でしたね。
また、修行中に「一日何回、一週間で何回、一生で何回きちんとしたご飯を食べられるのかと考えたら、その限られた回数でどうでもいいようなご飯を食べたいか」という話をされたことがあります。確かに修業先のとても厳しい環境で働いているのは、「おいしいものを作りたい、勉強したい」と思っているからであって、そうなるとおいしいものを作ることをもっと真剣に考え、自分のやっている職業にプライドを持たなければならないと思いましたね。
ーーーその後、東京でも経験を積んだそうですね。
【エノテカ・ピンキオーリ】のシェフが東京で店をやることになり、手伝ってほしいと声を掛けられて二番手のシェフとして働くため東京に行きました。地元への想いはあったものの、10代の頃に憧れていた東京を経験せずに地元に帰り、「東京ならどうだったんだろう」と思いながら過ごすのが嫌だったので、経験させてもらえる機会をいただけてありがたかったですね。店を南青山の一等地でオープンするにあたり、内装に関する意見を求められたりして、レストランの開業に立ち会うという貴重な経験をさせてもらいました。
また、東京に行く前には世界一の街とも言われるニューヨークのリストランテで働きましたが、食材などの「手に入りやすさ」という点では、東京ほどではないと感じました。東京は料理人もレストランのレベルも高く、何においても世界トップレベルだと思います。世界中から様々な食材が集まり、何でも手に入り「こういう料理が作りたい」と思ったら様々な業者や市場からすぐ仕入れることができます。ただ、そんな素晴らしい環境だったからこそ、「東京でしか食べられないものとは何だろう」「自分の料理は何を作ったら良いのだろう」と考えるようにもなりました。
ーーー東京の食文化をどのように感じていましたか?
やはり流行りを取り入れたり、目新しい料理も作ることが評価される傾向があるため、毎月新しい料理を作るということになりますよね。それを求めているお客様もいて、成功している店もあるので、もちろんそれも大事だと思います。でも「この土地に来たら絶対にこれだけは食べて欲しい」というような料理を提供するという意味では、正直なところ僕には東京という環境があまり肌に合いませんでした。また、東京で働くとなると出勤に時間がかかる場所に住み、終電を気にしながら働かなければならないことも懸念点でした。僕は出勤時間がもったいないと思い、勤務条件として自転車で5分以内のところに住めることを条件に働き始め、終電を気にせず働き、帰ることもできましたが、やはり東京で働く中堅の同僚は都心の店に40~50分かけて出勤するという人も少なくなかったです。僕はこれからずっとここでやっていくことを想像した時、街に馴染むのが正直しんどいなと思ったんです。
料理のアイディアが浮かんだ時にそれを実行する瞬発力という意味では、圧倒的に東京です。ですがそれは自分が得意ではなく、もっとその土地に腰を据えて、その土地にあるものをゆっくり見いだして自分の中で噛み砕き、「これ!」と思えるものを長く続けたいという思いがありました。
地元である木津川には家族もいますし、店を出してお客様にはそこを目指して来ていただくというのはイタリアっぽいなと思いました。一極集中で東京にだけおいしい店があるのではなく、東京にいる人たちがわざわざここまで食べに来てくれたら面白いなと思い、ここでしか作れない高レベルの料理を目指そうという想いが固まっていきました。東京での最初の契約期間である2年が過ぎてからも続けてほしいと言われましたが、地元でやっていきたいと伝え、地元に帰り店を開くことになりました。
ーーー日本でのどのような経験が現在の料理につながっていますか?
イタリア時代の経験がやはり料理のベースとなっていますが、日本に帰ってきて和食の料理人と話をするようになってからは、火入れや魚の扱い方に対する考えが変わりましたね。例えば、以前は炭にそこまで興味がなかったのですが、和食では調味料として捉えている部分があります。炭で焼くことによって、魚から出てきた油が炭に落ちることで煙が立ち、炭の香りを纏わせることでより美味しさを引き立たせることができます。それまで炭は単なる「熱源」というような大雑把な枠組みでしか捉えていなかったのですが、炭を使う意味を知っていくうちに店でも使おうと思いました。和食の料理人に炭の種類を聞いたり、イタリアンで使える炭を模索して、魚や肉を炭で焼くようになりました。
炭を熱源として取り入れるのか調味料として取り入れるのかといった視点は、日本にいるからこそ勉強できることですよね。ヨーロッパに行くことで様々な種類の肉や加工品を知ることができましたし、この土地で店をやることで野菜にも興味を持つようになりました。自分のいる環境によって得られる情報が変化し、今まで接していた面とは異なる側面から料理にアプローチできるようになるのは面白いですね。
また、オープン当初はヨーロッパでしか手に入らない希少な野菜を取り寄せて、それが良いと思っていた時期もありましたが、ヨーロッパの野菜を食べるなら現地で食べる方が鮮度もあります。地元の農家さんと付き合うようになってから、ここで店をやる意味というのをより真剣に考えるようになりましたし、採れたてをすぐに使うことで、いかにおいしい料理を作るかということにこだわるようになりました。一品目の野菜の一皿のように、あまり手を加え過ぎずに野菜本体のおいしさを引き出そうとしているのが、僕が現段階で良いと思っている形です。
ーーー普段、他の料理人と交流することはありますか?
若いシェフたちにも自分の経験を伝えたいと思い、1〜2か月に1回ほどのペースで営業後23時から明け方3時頃まで、仲間を集めた勉強会を開いています。コロナの影響で一旦お休みしていますが、また再開しようと思っています。自分がこれを学びたいなと思ったら、その道のプロを講師として呼んで教えていただくというスタイルを取っています。今度は河豚の勉強会を実施予定です。例えば、河豚を料理で使いたいと思った時、河豚を買ってきて自分なりにやってみるというのも良い経験ですが、最初にプロからきちんと教わるというのも大事かなと思います。プロからの学びを得ることで、格段にアプローチしやすくなります。一から始めて経験値を得るには、それなりの時間やお金が必要になります。でも、僕はありがたいことに横のつながりに恵まれていて、僕の想いに共感してくださる講師の方や、食材の良さや使い方を知り調理技術を上げたいと思っている仲間がいます。都心からは少し離れた木津川まで来て学びたいという意欲がある人たちなので、集まると自然と熱い勉強会になりますね。
ーーー情報をシェアすることで、学んだことがさらに多くの方に伝わりそうですね。
学びたいという意欲のある人は、同時に伝えたいという想いも持っているため、帰ってから若い人に伝えてくれたり、今度は自分が勉強会をしたいという人も出てきたりします。自分の中だけでこの情報を留めておきたいと思うと、そこからの展開はないんです。自分が最初に提供するからこそ、あの人なら教えようかなと思ってもらえることもあると思うので、僕は自分が貰ってばかりになるのではなく、自分からも伝えながら学ばせてもらうことを意識しています。例えば、仕入れ先を教えてくれと言われて教えることは気持ち良いですし、紹介された生産者さんも紹介されたからにはもっと良いものを作ろうと皆んなでレベルアップができますよね。そうして新しいことを勉強し続けて料理を洗練させていくことは、良い意味で自分にもプレッシャーがかかりますし、皆んなと切磋琢磨できているのは嬉しいですね。
ーーー昨今の飲食業界についてどのように考えられていますか?
今は有名なシェフがSNSなどでレシピ情報を公開していますよね。昔は本に書かれていなくて、直接学びに行かなければ教えてもらえなかったような情報も、今では簡単に手に入れることができます。わざわざ現地に行ってその人に教えてほしいと交渉し、学ぶような機会も少なくなってきているのではないかと思います。自分たちが修業していた時代にあった、ヨーロッパに行って早く技術を身につけて、追い込まれてでも自分を磨いていきたいといった風潮は薄まってきていると感じます。色々と簡略化されて簡単に情報が手に入る分、そういった経験値を積めるチャンスは減ってしまいますよね。
例えば有名なシェフが公開したレシピは、誰が作ってもある程度できるように作られていますが、それをレストランで50人分同時に作るとなると難しくなります。毎日大勢の分の食材を集め、同じ味に仕上げるというのが僕たちの仕事で、それは決して簡単ではありません。おそらく公開する立場の人は、単にレシピを知っているだけでは店で提供するのは難しいと分かっているからこそ、公開しているというのもあると思います。だからこそ、そのレシピを見てその料理を作ることは良いのですが、一回作れただけでその料理をマスターできたと思うのは少し危険かなと思いますね。
正直なところ、以前は同じ食材でも「あの料理人が作るからこそ違う」といった料理がもっとあったような気がしています。今は食材の流通が良く、鮮度の良い高級食材がお金を払えば簡単に手に入るため、インスタ映えなどパフォーマンス重視で影響力のある方に自然と注目が集まり、本質的な「おいしさ」が損なわれつつあるように思います。そうした点も含めて料理の流行りでもあるので、全否定するつもりはもちろんありませんが、違ったおいしさもあるのではないかと感じますね。
これからの若い人には、もし学びたい料理があるのであれば無理をしてでも自分のお金で現地に学びに行き、生活も文化も含めて現地の空気を感じながら自分の目指すところにたどり着いてほしいなと思いますね。よく言うのは、毎日の積み重ねによって自信がつくので、「今日はさぼっていいか」とは思わず、仕事の間は全力で集中してやり切ってほしいということ。それでも怒られたら、それはまだ実力が足りていないのかもしれません。
実力は一生つかないのかというと、そんなことはなく2〜3年後に実力がついているかもしれませんし、5年後でもついていないかもしれません。その差は何かというと、「どれだけ毎日を真剣にやってるか」ということなんですよね。だから、一日だけうまくいったから身についたというわけではなく、お客様が大勢来てどんなに忙しくても短時間で同じクオリティのものを仕上げられて、初めて実力がついてきたと言えるのだと思います。だから、「料理は簡単にできるようになると思ったらあかん」ということは伝えていきたいですね。
ーーー様々な経験をすることで、自分の糧になりますよね。
若い人には良い経験も悪い経験も、褒められたり怒られたり、様々な経験をしてほしいなと思います。挫折も味わうことで、それが人生の味となり「自分の個性」になるかもしれません。諦めずに続けることで、挫折を乗り越えれば失敗ではなくなりますし、諦めてしまえば失敗で終わってしまいます。だから今うまくいかなくても、頑張っていれば後からきっと「あれがあったから今があるんだ」と思えるようになります。失敗を結果にするのか過程にするのかは、その人次第だとは思いますね。
僕自身【エノテカ・ピンキオーリ】でパスタ場を担当した当時を振り返ると、当時は自分の責任を果たすことで精一杯でしたが、乗り越えたら知らないうちに自信を獲得できていたのはありがたかったですね。
ーーー料理業界に対して考えられていることはありますか?
料理業界全体の、そして料理人の地位をもっと高めたいと思っています。ヨーロッパでは料理人の地位はもっと高く、その背景には1区画に飲食店は何軒までという決まりがあり、日本のように雑居ビル全体に飲食店が入っていることが少ないから、ということがあります。日本は飲食店の数が多く、どこの店に入ってもおいしいですし、「おいしい料理は誰でも作れる」というイメージがあると思います。それは当たり前のことではなく、料理人の努力によって成り立っているということがもっと認識されてほしいですし、料理人の給料も含め待遇面など改善されてほしいと思いますね。
近年では働き方改革などで労働時間が定められ、働く時間を減らして効率を良くしようとする流れが強まっています。もちろん良い面もありますが、職人的な部分が強い料理人としては、短い時間内で収まりきらないところがあります。1日8時間までとなると、ランチ営業もしくはディナー営業しかできないというようになってしまいます。そのため、一律全ての業種を8時間とするのではなく、業界に合わせた働き方をするのが良いのではないかと思いますね。飲食店とは特殊で、一気に集中して取り組むことで自分の力として身につき、お客様に提供するものとして仕上がります。そのため、例えば週休3日で1日12時間働くといったスタイルでも良いのかもしれません。
ーーー労働時間の変化は、料理人の成長という面でも影響がありそうですね。
1日8時間以内で収めようとすると、ある程度ソースを買うことになったり冷凍の肉を使わなければならないなど、簡略化する弊害が起きると思います。若い人が一から取る出汁の作り方を分からないまま料理長になってしまったり、出汁のベースの既製品がないと作れないという風にはなってほしくないなと思いますね。
具体的な料理を例に挙げると、仔牛の骨やすね肉を使って取る「フォンドボー」がありますが、若い人にはフォンドボーはどういう風にしてできているのか、自分で作るにはどれだけ大変で、どれくらいの技術が必要なのかというのをしっかり学んでほしいですね。
20〜30年後、仮にフォンドボーを1から10まで作れる料理人が国宝レベルの価値と称されるようになった時、効率を求めたが故に作れる料理人はほとんどいなくなってしまう…と考えたら、今は「失われた料理業界の30年」と言われるような時期を過ごしているのではないかと非常に危惧しています。料理の本質と厳しさを伝えられる人はいなくなり、学べるのは本やYouTubeからのみとなってしまうと、料理はすごく変わってしまうのかなと思います。だからこそ、料理に関わる人たちを集めた勉強会を開いたりして僕自身もオープンな姿勢でいますし、自分自身もそうありたいと願っています。
ーーー最後に、仲本様にとって「おいしい」とは?
イタリアに行って思ったのは、なぜマンマ(お母さん)の味がおいしいのかというと、一番身近にいる家族のためを想って作っているからですよね。例えば、この子はこういう味が好きだからと分かって作ってあげることが究極の料理だと思っています。そこにキャビアやウニなどの高級食材や希少食材を使うことが大事なのかというと、そこまで大事ではないのかなと思います。
ですが、レストランでは不特定多数の方がいらっしゃり、全てのお客様の好みを把握できるわけではないので、自分がおいしいと思うものを提供することになります。そうなると、お客様は自然と自分の舌が合うか、気に入るかどうかで評価することになります。一時期、お客様の好みに応じて食材を変えたりということもしていたのですが、僕はここで自分の料理を作りたいと思ってリスクを背負ってレストランを開いているのに、なぜお客様の顔色を伺いながら提供しているのかと思い直しました。お客様によって評価が分かれることは構わない、でも僕がおいしいと思うものを提供しようと思えたからこそ、今は自分が作りたいものを作れています。そして、僕の味は僕の経験によって生まれてくるものだと思っています。自分の生まれ育った環境で食べた味や修行先での味など、様々な経験が総合して現在45歳の僕が出せる味になっています。なので、これからも新たな経験をすることで来年になったら味が変わっているかもしれないし、一品目の野菜の一皿はオープン当初から作り続けていますが、野菜の火入れの仕方や熱源、盛り付け方は経験とともに進化しています。「おいしい」の評価は時代とともに変化していますが、自分の中でブレない芯を持ち続けて、これからも自分の信じていることに正直に、自分が作りたいものを作っていきたいですね。
真摯に料理と向き合いながら、変化する業界と料理人の置かれた状況を危惧し、現代で「当たり前」とされていることに疑問を投げかける仲本氏。その想いは木津川市から京都・奈良・大阪と周囲の料理人の仲間たちを巻き込み、これから更に大きな潮流となっていくに違いない。
仲本氏が腕を振るう【ristorante NAKAMOTO -リストランテ ナカモト-】は、わざわざ足を運び、「この土地で、ここでしか食べられないもの」を味わうにふさわしい日本の名店であると確信を得た。道中の風景も楽しみながら自身の五感を研ぎ澄まし、生命力溢れるイタリアンを是非とも味わってみてほしい。
取材・文 / 佐田 優佳
撮影 / 中岡 あずさ
Ristorante Nakamoto ist ein verstecktes italienisches Restaurant in der Stadt Kizugawa, Präfektur Kyoto. Chef Nakamoto hat Erfahrung in einem mit drei Michelin-Sternen ausgezeichneten Restaurant in Italien und bietet Gerichte an, die sein Können zur Geltung bringen. Jedes Gericht, das die Lebendigkeit der Küche widerspiegelt, überrascht und begeistert bei jedem Besuch. Genießen Sie auch die elegante Atmosphäre des Lokals und verbringen Sie eine herzliche Zeit.