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先駆者であり続ける【鳥しき】が切り拓く「日本の焼鳥」の未来
2024/11/22

先駆者であり続ける【鳥しき】が切り拓く「日本の焼鳥」の未来

日本で最も予約の取れない焼鳥店と評され、不動の地位を築く目黒【鳥しき】の池川 義輝氏。中目黒【鳥よし】名匠・猪俣 善人氏の元で修行を積み、独立から18年目を迎えた。これまでの焼鳥の概念を覆し、日本の伝統と食文化を融合させた「焼鳥」の可能性に光をあてる池川氏は、現在【鳥しき】一門を率いる。名店から継承される焼鳥への想いや火入れの極意、そして若き職人たちへのメッセージなど、胸に秘める熱い想いを語っていただこう。

究極の一串を求め、五感を尽くす。

―――【鳥しき】の特徴について教えてください。

福島県産「伊達鶏」を一羽丸ごと使用し、お客様から「ストップ」のお言葉をいただくまで食材と時間が許す限り、おまかせの串を提供させていただくスタイルです。「伊達鶏」は部位毎に焼かせていただき、季節の旬の野菜を含め常時25品ほどのご用意と、〆はお腹の具合に合わせてご飯ものなどお食事をお選びいただけます。

これまで色々な鶏を試しましたが「伊達鶏」は若鶏と地鶏の中間のような肉質で、焼いた時にも柔らかさがしっかり残ることとクセのない旨味が特徴で、部位を変えて食べ進めても重くなりすぎず【鳥しき】の炭火で焼き上げるスタイルとの相性が良い銘柄鶏だと思います。

―――どのようなことを意識して仕込みをされていますか?

まずは「素材を知る」こと。同じ鶏でも季節によって肉質や脂の付き方、筋肉の詰まり方など一つ一つに違いがあります。野菜も皮の付き方、果肉の旨味や水分量などの個体差がありますよね。一羽ずつ違う鶏の個性と特徴を的確に把握し、火入れをする時に均一に熱が入るように大きさや形、お客様が口にした時の食感まで想像しながら、丸鶏を部位ごとに切り分けていきます。

次に肉の中心に串を刺していくのですが、少しでも中心からずれてしまうと火の入り方にムラができたり、串を回した時に肉が動いて肉汁が逃げてしまいます。ですから、熱の伝わり方をイメージして、手先の感触を確かめながらー串ずつ串打ちをしていきます。

―――素材を見極めたうえでのアプローチなのですね。火入れに関してはいかがですか?

炭火の特徴は何といっても熱量と香りです。一気に焼き上げることにより熱を閉じ込め、旨みに変え、鼻腔をくすぐるどこか懐かしい香ばしさと、その先にある余韻を愉しんでいただけるのは、炭火だからこそできる表現だと思います。

炭も職人さんが窯で焼き上げる自然の産物ですから、一つとして同じ大きさや形はありません。季節によって炭に含まれる水分量も変わりますので、軽く叩いて音から炭の状態を探るんです。その炭がどれだけの熱量を放てるかを予測しながら、熱量が均一になるように焼き場に炭を組んでいきます。この作業は焼鳥の焼き上がりを左右する生命線なんです。

一方で見方を変えると、そうした炭の個性は焼き上がりに対して不安定な要素にもなりうるわけです。「素材を知る」ことは、一つとして同じものがない「自然が生み出す不安定さ」を全て受け入れることから始まります。

その一串に対してどれだけ集中して個性を感じ取れるか、五感を研ぎ澄まし瞬間ごとに対峙していく難しさと面白さがありますね。焼く過程での素材の変化(膨らみ具合や色の付き方など)を見極め、いかに個性を邪魔せずにおいしく焼き上げるかを考えることを常に大事にしています。

料理の道に入って20年以上経ちますが、未だにこれこそが最高の一串だと断言する感覚には到底なり得ないです。焼鳥とは日々「どうしたらもっとおいしくなるか」ということを考えさせられる、本当に奥深い世界です。

―――焼鳥の魅力に気が付かれたのはいつ頃ですか?

小学生だった40年ほど前、僕が育った東京下町の商店街は、夕方になると沢山の住民で賑わっていました。友達と遊んでお腹を空かせて家に帰る途中、焼鳥のおいしそうな香りが漂ってくるんですよ。当時の焼鳥は小学生の小遣いでも買える値段でしたから、小銭を握りしめて友達とその場でよく食べたものです。母が買ってきた焼鳥が食卓に並ぶこともありましたし、父がたまに連れて行ってくれた居酒屋にも焼鳥がありました。今でも当時の風景や甘辛いタレと炭火の香り、気持ちが高揚する感覚は鮮明に脳裏に焼きついています。焼鳥は、僕にとって「ご馳走」の原点なんです。

これは【鳥しき】の屋号にも繋がるのですが、店を始めるにあたり、焼鳥を通してお客様にお伝えしたいことは何かと考えた時に二つの想いがありました。一つ目は幼い頃、焼鳥に感じた高揚感です。僕が焼いた焼鳥を食べていただいて笑顔が生まれ「明日も頑張ろう」など、お客様それぞれの「士気」を高められる店を作りたいと思いました。二つ目は、焼鳥は他の料理に比べると季節の変化を感じる要素が少ないので、料理を通じて日本の美しさである「四季」を感じられる店にしたいと思い、それぞれの「しき」を掛詞に【鳥しき】としました。

未熟さを痛感した修行時代。職人としての「心技体」とは?

―――料理の道に進んだきっかけをお聞かせください。

仕事として意識したのは20歳の頃です。友人の実家が焼鳥屋で、アルバイトをした時に面白かったんですよね。幼い頃の焼鳥の思い出も重なり「一度しかない人生、好きな焼鳥を仕事にできたら後悔ないかな」と、いつか自分の店を持ちたいと決心したのはこの時でした。

とはいえ、まだ世の中のことを知らないので、大学卒業後は社会に一度出ることを選びました。経済の回り方や社会の中での飲食業界の立ち位置、お客様のニーズを知ってから修行を始めても遅くないんじゃないかと思いました。人材派遣会社に就職して平日は営業職を、休みの日は自分のやりたい店のイメージを膨らませながら焼鳥の食べ歩きです。当時は今のようにSNSもグルメサイトも無かったので、雑誌を片手に庶民的な店から高級店まで、サラリーマン時代の三年間で100軒くらい焼鳥屋に行きましたね。

―――100軒ですか!? 東京中の焼鳥屋を巡ってどんなことを思いましたか?

今となっては若気の至りで恥ずかしいのですが、「これならば自分でもできそうだな」と。鶏に串を刺して焼くだけだし、二年くらい修行すれば一通りのことは覚えて自分の店を持てるのではないか、と完全に焼鳥を舐めていましたね。食べ歩きの中で最もインパクトが強かったのが後に修行先となる中目黒【鳥よし】でした。

僕が知っている居酒屋のメニューの一品という大衆的な焼鳥とは違い、お寿司屋さんのように焼鳥が振る舞われていました。職人達の隙のない仕事ぶり、焼鳥にワインを合わせて食事として愉しんでいらっしゃるお客様の雰囲気に衝撃を受けましたね。自分が店をやるならこういう店を目指したい、修行するならこの店しかない!と思いました。

100軒ほどの焼鳥を食べ歩いて東京の焼鳥を知ったようなつもりでいましたが、この頃は店毎の焼鳥の特徴を捉えているわけではなくて、内装の綺麗さであったり職人の姿が格好いいなとか、外見の部分だけを見ていたんです。仕事の本質というものを全く見てこなかったことを思い知るのは修行が始まってからでした。

―――修行時代に印象に残っていることはありますか?

修行中は本当に苦労の連続でしたね。当時、自分と同じような修行仲間は7~8人いましたが、最初の一年は「追いまわし」というポジションで、仕事といえば皿洗いや店の掃除などの雑用で、鶏は全く触らせてもらえません。

年目になって鶏に触らせてもらえるのですが、仕込みの下準備として食材を切るなど同じ作業の繰り返しです。僕は店に入るまでほとんど包丁を握ったことがなくて、技術を覚えるまでに時間がかかった方だと思います。年下の仲間にどんどん追い越されていくんですよ。いつまでこれを続ければ焼き場に立てるのだろうという焦りと、自分が本当に仕事ができないという現実を突きつけられるジレンマ。お客様のサービスに入らせていただいてもうまく言葉が出てこないなど、当時は自分自身に対し嫌気しかなかったかもしれません。

―――修行中に見方が変わってきたなと感じるようになったのはいつ頃ですか?

焼き場に立たせてもらえるようになった四年目の頃でしょうか。一年目の「追いまわし」の仕事やそれ以降の仕込み、一見すると地味な作業の繰り返しに思えた経験によって培われている感覚があることに気付いたのです。

例えば、食器がいつもの場所より少しずれているといった店内の小さな変化だったり、鶏肉を触った時に部位毎の厚みや串の刺し方、炭の組み方による火の入り具合や熱の滞留の違いが少しずつ分かるようになってきました。焼鳥は素材を切って火入れをして食べていただくというシンプルな料理だからこそ、ちょっとした違いを身体で感じられることは職人として大事なことですよね。無駄なことは一つもなかったんだと思いました。

面白いもので入店したばかりの頃は何も感じなかったのですが、親方と毎日同じ空間に居て同じものを食べていると「阿吽の呼吸」じゃないですが、ある瞬間から親方の考えていることや視線の先に何を見ているのかが手に取るように分かるようになったんですよ。約七年【鳥よし】で修行をさせていただく中で、たくさんの学びがありましたね。

―――先代の親方から学び、【鳥しき】に継承されていることは何ですか?

親方の焼鳥が素晴らしいのは技術の精度だけではありません。「心技体」といっても良いと思うのですが、お客様の想いや目の前の食材を知ろうとする気持ち、お客様や生産者さん、食材への感謝、人としての優しさという当たり前のことをとても大事にされていました。今も現役で活躍され、高みを目指すストイックな親方です。その背中を見てきましたので、親方に認められるまで自分はまだ何かが足りないと思ってここまで続けてこられたのだと思います。

今年は独立から18年目ですが、今も変わらず毎日が新鮮なんですよ。もしもお客様に来ていただけなくなったら店を畳むしかありませんので、日々「一串一魂」。僕らが真剣に向き合っていないと、お客様に悦びや感動を与えることはできません。すごく当たり前のことですが、その当たり前をしっかりと続けていくことも大事な教えの一つだと思います。

多店舗展開は若手の社会的・経済的自立を促すためのシステム

―――目標や夢があればお聞かせください。

一つ目は「一生現役」。
命ある限り、現役で店に立ち続けたいですね。僕自身、まだまだ若い子の見本となれるほど完璧な人間ではないのですが、不器用な人間でもきちんと仕事に向き合っていけばお客様が来てくださるという一つの指針になれたら嬉しいですね。

二つ目は、日本の焼鳥の魅力や食文化を継承していく若手の育成に力を尽くしたいですね。焼鳥の魅力を一つ挙げると、これだけデジタル化が進み、人間の手を離れてあらゆるものが機械化される現代社会の中で、今もなお炭から火を起こし肉を焼いて食べるという最も原始的で唯一無二の料理であると思うのです。このアナログな部分に価値を持たせて日本ならではの食文化を広め、ゆくゆくは海外の若い子たちも「日本の焼鳥を学んでみたい」と思ってもらえるような環境作りをしていくことが僕の夢です。

現在はすでに修行を終えて独立した9名を含めて、日本と海外に約30名ほどの若手がいます。この先は、彼らが国内外に「日本の焼鳥」という食文化を広げ、多くのお客様に悦んでいただける舞台に挑戦できるよう、後方から支えていきたいと思います。

―――最初にお弟子さんを受け入れたきっかけは?

開業当初は夫婦二人でこじんまりと店をやっていくつもりだったんです。開業から三年ほど経った時「見習いの募集はしていますか?」と一本の電話が入りました。学生の頃のアルバイトで知った焼鳥の面白さが忘れられず、焼鳥を一生の仕事にしたいという話でした。

見習いとして受け入れるからには自分が教えられることは何か、限られた時間の中でどうやって勉強してもらうかという具体的な体制を考えるきっかけになりましたね。その後も同じように訪ねてくる子が増えていき、少しずつ環境を整えていきました。

―――現在、国内外に店舗を構えていらっしゃいますがどのような位置付けですか?

売上の拡大というよりも社会的な背景から、開業10年目を機に店舗を少しずつ増やしてきました。

理由は二つ。一つ目は若手が実践の場としてチャレンジできる環境を作るためです。店内の焼き場で彼らが練習するには、仕事が終わった後か仕込みが始まる前に限られます。僕も修行時代は営業が終わった深夜一時過ぎから焼き場を借りて練習させてもらいましたが、より仕事に集中できる仕組みを整える必要性を感じ、一定の技術のある子が経験を積める店舗を作ったのです。

二つ目は、経済的に自立して料理人としての社会的地位を向上させるためです。これは僕の実体験ですが、サラリーマンを辞めて修行を始めた当初は、給料がそれまでの半分になりました。休日は運送業のアルバイトをして生活の足しにしていましたが、すでに家庭を持っていましたので義理の父からずいぶん心配されましたよ。また、独立時に銀行から借り入れをするにも苦労したんです。次世代の人材を育てるためには、料理人の社会的地位や経済面が向上していかないと、なかなかこの仕事をやりたいとは思ってもらえないですよね。

カウンターは「見えない壁のある個室」ーーお客様に寄り添うということ

―――最後に、池川様にとって「おいしい」とは?

「おいしい」とは、味単体のものではなく複合的なものだと思います。食事をする時間と空間、一緒にいる人など、食事を構成する全ての要素がうまくフィットした時に「おいしい」が成立するのではないでしょうか。食材や調理法に妥協しないのはもちろんのこと、お客様の大切な時間をお預かりしていますので、心地良さを感じていただけるような店作りをこれからも大切にしていきたいですね。

中でも、僕は普段から「黒子」という言葉で表現するのですが、お客様の空気となりうるような「黒子」に徹してお客様への感謝の気持ちを忘れずに寄り添っていくこと。限られた一日の大切なお時間に【鳥しき】を選んで来てくださったお客様お一人お一人に、焼鳥という手段を通じて「おいしい」を感じていただくために僕ら職人ができることだと思います。

当店はカウンターの店ですが、その一つ一つを僕は「見えない壁のある個室」だと思っています。見えない個室のドアをノックするつもりで、お客様の会話の様子や食事のリズムに寄り添いながら食事を愉しんでいただけるよう、スタッフ一同これからも励んでいきたいと思います。

池川氏が「対峙する」という言葉で表現していた通り、焼き場で肉と炭の変化を一瞬たりとも逃すまいと目を凝らす表情には一切の曇りが無く、緊張感が漂う隙のない様子は武士の居合のよう。腰に挿し込まれた大きな団扇が侍の刀に見えた。

修行を始めた当初は「完全に焼鳥を舐めていた」と頬を緩める。自身の未熟さを知っているからこそ、研鑽を積んだ今もなお自分を戒め、律し続けて「対峙する」のだろう。究極の一串を求めて、多くの客人と門下生が池川氏の店を訪れる理由はここにありそうだ。

取材・文/柳屋 有里
撮影/中岡 あずさ

店舗情報




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